バイク事故で身元不明のまま亡くなった16歳の弟。遺族を嵐のように襲う噂や苦しみ、そして後悔とは

#くらし   
二度と帰ってこなかった16歳の弟。「あのとき声をかけていれば…」ずっと後悔しているときむらさんは語ります

緊急事態宣言が解除され、新規感染者が減少したことで人々が外に出始めましたね。
交通量も増え、週末には高速道路などの渋滞が報道されるようになりました。
あわせて増え始めたのが「交通事故」のニュース。
「大変…」と思いつつも、どこか他人事で聞いている方も多いかもしれません。
しかし、実際に「事故」で突然家族を失うといった辛く悲しい事実に向き合わなければいけなかった方はいます。
ブログで綴った「16歳で帰らなくなった弟」が話題となり、書籍化もされたきむらかずよさんは、その一人です。現在は3人のお子さんの子育てをしながら、保育士をされています。

高校3年生でこじらせ思春期真っ最中だったきむらさん。マイペースな父と肝っ玉の据わった母、そしてちょっとやんちゃなひとつ下の弟の4人家族で暮らしていました。
地方のおだやかな環境で、ゆるゆると流れる何てことない平和な日常。しかしある夏の深夜にかかってきた警察からの電話が全てを変えてしまいます。

深夜、警察からの連絡が

「息子さんが事故に遭われまして…。もしかしたら容体が危ないかもしれません…」

父と母ときむらさんが慌てて病院に駆けつけるも、そこには冷たくなった弟が…。
警察が電話してきていた時にはもうすでに亡くなっていた、という衝撃の事実でした。
弟の死にショックを受ける家族ですが、追い討ちをかけたのが、事故を起こした弟のバイクに同乗していた身元不明の女の子がいるという警察からの情報でした。


なぜか涙が出てこない…感情に蓋をしないと自分を保てなかった


――病院で弟さんの姿を見たときのお気持ちを改めてお聞かせください。

きむらかずよさん 「何が起こっているのか、頭が現実に追いつかなくて真っ白でした。両親が見たこともないくらい動揺していて、『私がしっかりしなくちゃ』と漠然と思ったのは覚えています。
自宅に遺体が帰ってきて、それまで気丈に振る舞っていた母が泣き崩れました。その時私は弟のいる部屋に一歩も入ることができませんでした。感情に蓋をしないと自分を保てなくて、涙が全然出なかったんです。
初めて涙が出たのは弟をお棺に入れる時でした。体が硬直しているので何人かで力を合わせないと持ち上げられなくて、その時にはじめてただ寝てるだけじゃないんだって思い知らされたんですね。涙って現実を受け入れられたときにはじめて出るんだなと思いました」

――事故の日の夜、弟さんの部屋には友達の女の子が遊びに来ていて、壁一枚向こうの部屋から楽しそうな声が聞こえていたということでしたが、その時顔は合わせていらっしゃらなくて…。

二度と帰ってこなかった16歳の弟。「あのとき声をかけていれば…」ずっと後悔しているときむらさんは語ります


きむらさん 「当時、毎日のように弟の友達が家に遊びに来ていたので、いちいち『どこに行くのかな?』なんて思うことはなくて…。それなのに、なぜかその日だけは、弟の足音を聞いた私は読んでいた漫画を置いて立ち上がり、ドアノブに手をかけて声をかけようか迷ったんです。迷っている間に、弟が階段を降りて、ヘルメットをかぶって、玄関を開けて、バイクのエンジンをかけて、行ってしまった…。その記憶がスローモーションのように頭にこびりついているんです」

ずっと残っている後悔

――あの時止めておけば…と、死ぬほど後悔したと綴られていました。

きむらさん 「まだ十代だったこともあってものすごく自責の念にかられました。きっと身近な人を亡くした人の多くが、『あの時に限ってこんなことがあった』みたいな経験をされているのかもしれないです。でもこのことは誰にも言ったことがなくて、発表した漫画ではじめて伝えることができました」

「女の子が亡くなる時に死にたくないって言ったらしいな?」まわりの大人の無神経さに心をえぐられた

本当の悪魔は優しい顔をしている


――大人への不信感など、弟さんの死による様々な影響があったそうですね。

きむらさん 「すごく良くしてくれていた近所のおばちゃんがお葬式で『アホやなあの子、バイクなんか乗って』とか、弟や親のことを悪く言っているのを聞いてしまって、裏切られたような気持ちになりました。裏の顔というか、『大人ってこうなんだ…』と。
母に対しても『女の子が亡くなる時に死にたくないって言ったらしいな? 大変やな?』って無神経に心をえぐってくるんですよ。そういう意味では、すごく本来の人間性が見えましたね。本当に優しい人とそうじゃない人がくっきり分かれるリトマス試験紙のようでした」

噂の的に…


――17歳という多感な時期に家族の死を受け止めるのは並大抵のことではなかったと思います。

きむらさん 「弟の死の直後は、家族全員がバラバラの方向を向いているような感じで、両親の姿を見るのがとても辛くて…。なので私は学校や友達の存在に救われていた部分が大きいと思います。両親もまた、ご近所さんや親戚やら人の出入りが多い家だったこともあり、周囲の人間関係に助けられていたようです。私たち家族は、それぞれがそれぞれのフィールドで自分を取り戻していって、結果的に家族の形も元に戻っていくことができたんじゃないかと思います」

事故の後もなんでもない日常を続けてくれるのが嬉しかった

月命日にはお線香をあげにきて



――弟さんのお友達やご自身の友人など様々な方から励ましがあり、とても助けられたそうですね。

きむらさん 「巷ではやんちゃと言われているような弟の友達がとても優しくしてくれましたね。弟が亡くなっても月命日がきたらみんなで家に遊びに来てくれて、両親ともたくさん喋ってくれたりして。特別な慰めの言葉なんかはないんですよ。ただなんでもない日常を続けてくれるのが嬉しくて。
私の友達も、一緒に泣いてくれたり、何も言わずに隣に座っていてくれたり。ただ一番救われたのは、普段通りに接してくれたことかもしれません。学校に行ってもなんでもないように、『おはよー!』って声をかけてくれるのがすごく楽でした。その瞬間だけ、いつもの日常に戻ってこられる感覚でした」

――事故のことをマンガにしてブログで発表するのは勇気がいったことだと思います。

身元のわからない女の子


きむらさん 「はい…。悩みに悩んで、しんどくなったらいつでもやめようと思っていました。とくに弟と一緒に亡くなった女の子のことは辛すぎるので触れないでおこうかなと思っていたくらいです。でも徐々にコメント数も増えていって…。『私も向かい合わなくちゃいけない』『もしかしたらこれを描くことで救われる人がいるかもしれない』というのが頭をよぎりました。
『16歳で帰らなくなった弟』を描き始めて途中、弟と一緒に亡くなった女の子のエピソードのあたりで、当時のフラッシュバックで眠れなくなってしまったんです。このままやめてフェードアウトしてしまおうかと思いました。でも、その気持ちを察した読者の方や、友人が、『無理しないで』『ゆっくり、ゆっくりでいいよ』と声をかけてくれたんです。
いつも描きながら寄り添ってくれる人がいたのがとても大きかったですね。そして、同じく家族や大切な人をいろいろな形で亡くして悲しみの淵にいる人から、たくさんのコメントをいただきました。おこがましいけれど自分の経験を描いたもので、誰かを救えるんだと気づきました」

きむらさんは現在3人のお子さんを育てる中で、必ず意識していることがあるそうです。
「朝、子どもにいってらっしゃいをするときは、どんなに機嫌が悪くても気持ちよく見送るようにしています。だってもしかしたらそれが最後になるかもしれないんですから」と語るきむらかずよさん。

日常に対して、私たちはこれからもずっと続いていくものだと思ってしまいがちです。
家族と過ごす日々が「当たり前のこと」ではないこと。いつも心に刻んでおくべきことなのかもしれません。

取材・文=宇都宮 薫

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