歴史的毒親⁉ あの男を育てた母の人生【オンナ今昔物語4】

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最近、「毒親」という言葉をよく目にするようになりました。肉体的な虐待だけでなく、精神的な虐待、過干渉、自立の邪魔をするなど、子どもの心に深い傷を残すケースも多いです。親が子どもを自分の持ち物のように思っているなど、親子の距離感を見誤っていると「毒親」化の可能性が…。

凶悪犯の幼少期についての報道を見ると、しばしば「毒親」の姿が見えるこがあります。犯罪は許せないですが、「これでは歪むのも無理ないな……」という感想も持ちます。歴史を紐解いてみると、不健全な親子関係が国家を揺るがす壮大なレベルに発展することも……

ローマ史上最悪の暴君が生まれてしまった背後には…?


今回取り上げるのは、古代ローマの女性アグリッピナです。西暦15年生まれ、同59年死去なので、今から2000年くらい前の人物。この人の母も同名なので、「大アグリッピナ」に対して「小アグリッピナ」と呼ばれることもあります。

知らない? でも、「ローマ史上最悪の暴君」として有名なネロといえば、ピンとくる人が多少いるはずです。アグリッピナはこのネロのお母さんです。

ネロは王妃を初め多くの人を無実の罪で処刑し、キリスト教徒(当時はまだ新興宗教だった)の大規模な迫害を行いました。芸術や建築を愛好し、自分の趣味のために金を湯水のように使ったなど、非常に評判の悪い人物です。

なぜ、ネロのような暴君が生まれてしまったのか――その陰には、母アグリッピナの存在がありました。

さて、アグリッピナの人生を紹介する前に、彼女と周辺人物の血縁関係がかなり複雑なことをお断りしておきます。この頃のローマ皇帝は、「実の男子に恵まれず、親戚の男子を養子にして後継者にする」というややこしい継承を繰り返したため、家系図がやたらと入り組んでしまうのですね。そして、親子・夫婦・兄弟間での骨肉の争いも日常茶飯事でした。

アグリッピナの父親は、皇帝の一族だったゲルマニクスという人です。彼は有能な政治家で、皇帝ティベリウスの養子、つまり将来の皇帝候補でした。ところが、ゲルマニクスは30代の若さで急死(暗殺説もあります)。その後、母(同名の大アグリッピナ)も皇帝と対立して失脚。アグリッピナは苦労の多い少女時代を過ごします。

 

ティベリウス帝の死後、兄のカリグラが後継者に選ばれました。アグリッピナは皇帝の妹という立場になったのです。しかし、やがて兄と対立し、謀反の疑いを受けて島流しになりました。ドロドロした権力闘争の多さがわかりますね。

アグリッピナは美貌に恵まれており、同時に権力欲の強い野心家でもありました。ローマの女性としては珍しく回想録を残したほどの、頭のいい女性でもあります。

いくら野心家でも、女性は皇帝になれません。最初に結婚した夫は若くして死に、幼い息子ネロが残されていました。

「いつかは、我が子を皇帝に……」

不遇続きながら血筋の良いアグリッピナは、いつしか息子に自分の野望を託すようになります。

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