「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったのは誰? 関東大震災から100年目の今日、改めて知りたい警句の意味

#くらし   
 『これから科学者になる君へ 寺田寅彦エッセイ集』より

今日9月1日は防災の日。関東大震災から今日でちょうど100年目を迎えます。

さて、「天災は忘れた頃にやってくる」はよく耳にする警句ですが、この言葉は誰が言ったものかご存知ですか?
これは物理学者にして文学者でもある、寺田寅彦(1878〜1935年)が残した言葉です。

この警句は寺田寅彦の著作の中に出てくる言葉ではありませんが、周囲の人々にこの言葉をよく語っていたと伝えられています。寅彦の死後、助手の物理学者・中谷宇吉郎が1938年に新聞でこの言葉を紹介したことから、広く知られるようになったようです。

寅彦はなぜこのような言葉を残したのでしょうか。

物理学者と文学者の「二刀流」だった寺田寅彦

寅彦はX線の研究などで知られていますが、他にも茶碗の湯気の観察や、金平糖の角の出来方、線香花火の火花の散り方など、日常にある身近なものの物理法則について研究していました。
一方で夏目漱石に師事し、正岡子規らと交流を深め、文学者としても多くの随筆を発表しています。

漱石の『我輩は猫である』で、「吾輩」の飼い主の教え子として登場する理学者・水島寒月のモデルは寅彦だと言われています。

『角川まんが学習シリーズ まんがで名作 これから科学者になる君へ 寺田寅彦エッセイ集』より

そんな寅彦は、40代半ばで関東大震災を経験します。
寅彦自身はしっかりした建物の中にいたので大きな被害をうけなかったものの、外に出ると周りの建物が倒壊していた様子をみて大地震だったことを実感したといいます。また昼食時に発生した地震だったために火を使っていた家庭が多く、瞬く間に火事が広がり、東京の震災の犠牲者の9割は火災で亡くなったといわれています。このときの様子を、寅彦は1935年発表の「震災日記」に詳しく綴っていました。他にも、「津浪と人間」「天災と国防」など、防災に関する随筆を多く執筆し、災害を忘れてしまうことの危険性を伝えています。

人並み以上のこわがりであったらしい

また、1931年に執筆された随筆「こわいものの征服」では、「ある年取った科学者が私にこんな話をして聞かせた。」という前置きからはじまって、子どものころから臆病で雷鳴や地震にひどく怯えていたある科学者が、その後自分で雷や地震の研究をするようになってからは、恐怖を感じなくなっていった……というエピソードを語っています。

フランクリンの実験

雷を怖がらなくなった理由について、この科学者は「一つは年を取って神経が鈍くなったせいもあるかもしれないが、一つには自分が昔おどかされた雷の兄弟分と友達になって毎日のように一緒に遊ぶことになったためと思われる」と語ったといいます。

さすがにちょっとはびっくりした

またこの随筆の中で、地震についても「いかなる震度の時にいかなる場所にいかなる程度の危険があるかということの概念がはっきりしてしまえば、無用な恐怖と狼狽との代りに、それぞれの場合に対する臨機の所置ということがすぐに頭の中を占領してしまうのである」と語っています。

寅彦は、災害の記録を残していくことと、災害の怖さを忘れず、備えることの大切さを伝えていました。

天災について詳しく知ること、そして忘れないことによって、私たちもある日突然訪れる災害にも慌てず対処することができるようになります。関東大震災から100年目の節目となる今日9月1日、改めて防災グッズや備蓄の食品、避難場所について確認して、いつ来るかわからない災害に備えたいですね。

文=レタスユキ

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