「お母さんがおかしくなった」母の排泄物が入ったレジ袋を投げ捨て…小学生ヤングケアラーの壮絶体験と母の最期【48歳で認知症になった母 結末とネタバレ】

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【ネタバレ】お母さんが残したもの

やがて、美齊津さんは高校生になりました。
高校ではバスケットボール部に所属し、毎日を夢中で過ごしていました。
お父さんは、相変わらず早朝から夜遅くまで仕事でほとんど家にはいませんでしたが、お母さんがいなくなったことで少し優しくなった叔母と2人だけの生活は穏やかにすぎていきます。


たまに、入院したお母さんを想うことはありました。
でも、あの辛かった介護の日々を思い返すと、入院先にお見舞いに行くことに前向きにはなれませんでした。
しかし数か月ぶりにお見舞いに行く機会がありました。今回はお母さんの親族も一緒です。

お母さんはひとり言をブツブツをいうだけ

会うたびに痩せていくお母さんの姿を見るのは心が痛みましたが、親族が涙を流すなか、美齊津さんは泣くことはありませんでした。もう涙は枯れてしまったかのようです。


そのお見舞いの帰り道、美齊津さんは自衛隊基地の一般公開で戦闘機が華麗に空を舞うのを見ます。それ以来、パイロットの職に就くことを夢みるように。
おりしも美齊津さんは高校3年生。進路は、今までの暮らしから離れて寮で生活できる防衛大学校を志望しました。学費と生活費が無料なので、お父さんの負担を軽くする目的もありました。

そして受験した防衛大学校に、合格したのです!


合格したら、県外に行く前にお母さんに会いに行こうと決めていました。しかし、約2年半ぶりに会ったとき、お母さんは歩くことすらできなくなっていました。
面会のための部屋を、ずりずりと這うようにして移動するお母さん。美齊津さんの存在すら認識できず、しゃぶるのがクセになった指はすっかりふやけています。

愕然とする美齊津さんでしたが、気力をふりしぼって、お母さんに進学の報告をしました。
報告を聞いたお母さんから、返事が返ってくることはありません。
しかし、お母さんの表情の奥に一瞬だけ、昔の面影を見たのです。「おめでとう」と言ってくれているような、「今までよく頑張ったね」とほめてくれたような気がして…。

泣きました。声を限りに、泣きました。
お母さんが亡くなったのは、それから1年後のことでした。

防衛大学校卒業後は、民間企業に就職した美齊津さん。
充実した日々を送る中でも、お母さんへの罪悪感は消えてはいませんでした。ヤングケアラーだったころ、思わずお母さんを突き飛ばしたことを思い出して飛び起き、「お母さん、お見舞いにいかなくてごめんなさい」「必死でお母さんを忘れようとしてごめんなさい」その場で土下座をしてしまうこともありました。

ふと目にした老人ホームで、ボランティアをすることにしました。認知症になったお母さんに対し、距離を置いてしまった罪悪感もあったのかもしれません。
そこでの経験を通し、介護で苦しんでいる人がたくさんいることを知った美齊津さんは、介護ヘルパーの資格を取り、本格的に介護職の道に進んでいきました。

現在、美齊津さんは48歳。介護の仕事を続け、ヤングケアラーという問題についても目を向けています。
お母さんから受けたたくさんの愛を、介護問題で苦しんでいる人に届けるために、これからも介護の仕事を続けていこうと考えています。

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