「余命約2年半」と宣告された漫画家『痔だと思ったら大腸がんステージ4でした』著者が「がん」を受け止めて乗り越えるまで

#趣味   
  『痔だと思ったら大腸がんステージ4でした〜標準治療を旅と漫画で乗り越えてなんとか経過観察になるまで〜』より

「健康は失ってからその大切さに気づくといいますが、病気になるとそれを実感します」と話すのは、漫画家のくぐりさん。彼女が経験したのは「大腸がん」でした。

現在は「経過観察」状態になったくぐりさんですが、そこに至るまでの約3年間を、漫画「痔だと思ったら大腸がんステージ4でした〜標準治療を旅と漫画で乗り越えてなんとか経過観察になるまで〜」で発表しています。

その漫画によると、くぐりさんが最初にお尻に違和感を感じたのは2017年。駆け込んだ病院でいぼ痔と診断され手術をしました。
その約2年後、またお尻から出血するように。しかしくぐりさんは、それを痔の再発によるものと誤解したまま1年すごしてしまったのです。心配した母のすすめに従って病院を受診、くぐりさんは大腸内視鏡検査を受けることを決意します。2020年のことでした。

医師の表情が物語っていた検査結果


意を決して受けた内視鏡検査の最中、モニターに映されたくぐりさんの大腸内は、得体の知れない何かで埋め尽くされていました。
「あ これ ダメなやつだ」
くぐりさんご自身もそんな風に考えてしまうほどグロテスクな何か…。
その正体はがんなのか、医師に尋ねても「病理組織検査(採取した組織の一部を肉眼や顕微鏡で観察すること)の結果が出るまでは断定できません」とだけしか答えてくれません。

表情が物語っていた

しかし、そう話す医師の表情は、検査結果が厳しいものであることを物語っていました。

それから数日が過ぎ、より専門的な治療のできる病院で検査結果を聞くことになったくぐりさん。

 検査結果が出ました

 がんです

大腸にあった腫瘍は、やはりがんでした…。大腸がんであると宣告されてしまったのです。
がんの宣告の後も主治医の説明は続きましたが、くぐりさんにはショックのあまり、そのときの記憶があまりないと言います。その後、さらに体中の検査をすることになりました。

体中の検査をするため

2日間かけて、CTC検査(下剤を使用した後、肛門から炭酸ガスを注入し大腸を膨らませCTを撮影する検査)をはじめとして血液検査や超音波検査、MRI検査など、たくさんの検査をしたそうです。

しかしくぐりさんにはある疑問が…。それは「がんと診断されたのになぜすぐに治療が始まらないのか」「体中検査したのはなぜなのか?」ということ。この疑問の答えは、次の診察日を待つことなく分かりました。

何でもないタイミングで

仕事から帰宅した夫が、なんでもないタイミングでくぐりさんの写真を撮りました。

なぜ写真を撮ろうとするのだろうか

その後、夕食時にもくぐりさんを撮影する夫。そんな夫をくぐりさんは不信に思いましたが、口に出して聞くことはしませんでした。
そして次の日、この日は検査結果の発表1日前でしたが、くぐりさんの家に突然の来訪者が。

突然リビングに

リビングに入ってきたのは、夫とくぐりさんの両親でした。父は神妙な面持ちでくぐりさんに「話がある」と切り出しまします。

肺に多発転移

涙を流しながら

父から聞かされたのは「肺に多発転移している」という検査結果でした。夫がなんでもない日常の写真を撮ったのは、結果を知っていたからだったのです。
両親と夫の前で、くぐりさんは泣くことしかできませんでした。


漫画家くぐりさんインタビュー


――入院生活や手術など、闘病生活は辛いことも多かったと思います。精神的にも肉体的にもとても大変だったと思います。精神的な面でいうと、どのようにがんを受け止め、乗り越えていったのでしょうか?

くぐりさん
「漫画と旅が心の支えになっていました。賞をとれたおかげで、読み切り漫画を描くために毎日漫画を描いていたので、少しでも前に進んでいる感じを味わっていました」

 痔に違いない


――もうひとつの支えになった「旅」とはどんなものですか?

くぐりさん
「旅は、前からしてみたかった四国八十八ヶ所霊場を巡ったのですが、古いお寺や自然に触れられました。『抗がん剤の入院が終わったら、次は○○寺に行こうね!』と夫が励ましてくれるたび、ワクワクしていました」

血の量もドンドン増えていった

――パートナーの支えも闘病の力になったのですね。そのほかに、ご家族や周囲の人がしてくれたことや話してくれたことで記憶に残っていることはありますか?

くぐりさん
「友達と会っている時に『私の状態って平均寿命2年半なんだって』とポツリと言ったことがあったんです。するとその友達は『そんなワケないじゃーん、もっと生きる!生きるわ!』とカラッと大笑いしてくれて。
それが演技ではなく心からの笑顔だったので、私の心の中の雲がサーッと吹き飛ばされ青空になったように感じたのを覚えています。

家族からしてもらったことは、書ききれないほどありますね。
夫と息子は毎日のように励ましてくれて、心の拠り所になってくれていたし、自分の両親には食事の援助や家事を手伝ってもらいました。その中でも母が実母の介護で大変な中、離れて暮らす私の家族のために夕飯を用意してくれていたのでとても助かりました。

義理両親からは四国八十八ヶ所を巡る旅のアドバイスをいただいたり、私が入院中にはこどもと夫の面倒をみてくれていたので、安心して自分の治療だけに集中できました。たくさんの人に支えてもらって、今があると思っています」

血まみれのトイレ

――漫画についてもう少し聞かせてください。今回受賞した作品を描くきっかけは何ですか?

くぐりさん
「さきほどの話にあった四国八十八ヶ所の階段を上っているときに『病気は良くなる。この体験を漫画にしたら何らかの形になる』というイメージが頭に浮かんで…。実際は、私の無意識の心の願望だったのかもしれないのですが。
そしてエッセイ漫画を描いているタイミングで、新人賞のことを知り、応募しました。とてもいいタイミングで機会をいただくことができたと思います」

――入賞して、どう感じましたか?ご家族やご友人など、周りの方の反応はいかがでしたか?

くぐりさん
「家族も友達も自分のことのように喜んでくれました。もちろん私も嬉しかったです」

病院行け

――漫画家になりたいと寝食を削って努力なさっているエピソードがありましたが、いつごろから漫画を描き始めたのでしょうか?

くぐりさん
「中学時代に一番漫画を描いていました。ノートにですが…。でも、美術系の高校と短大ではだんだん描かなくなり、大人になってからはまったく描いていませんでした。

成人してから漫画家になりたいとハッキリ意識したのは、35歳をすぎてからです。それでも描くのは1年に4ページくらいのペースだったので、本格的に漫画を描いているとは言えないような状態でした。

がん発覚の約1年前くらいに『このままでは一生漫画家になれないのでは?死ぬ前に、私は漫画家でした、と言いたい!』と急に思いがよぎり、そこからしっかり描き始めました」

    *      *      *

がんという過酷な体験を昇華させ、漫画家として活躍中のくぐりさん。「今後は、エッセイ漫画にかぎらず、自分の好きなジャンルにも挑戦していきたいです。具体的には、ブロマンスやホラー、ミステリーなどですね」と力強く話してくれました!
闘病を経験されたくぐりさんだからこそ描ける作品を期待したいですね。

取材・文=山上由利子

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