美元さん流「幸せをつかむ方法(2)」夫婦円満の秘訣、ミセス・シンガポールへの道【ラヴィー・ヒトミ対談】

#くらし   

日本でモデル、女優として活躍した美元(みをん)さん。現在はシンガポールに拠点を移し、Yuko Chan(ユウコ・チャン)の名で世界を舞台に活動しています。2019年、なんと「ミセス・シンガポール」に輝き、「ミセス・グローブ」の世界大会に出場しました。

大好きだった母の死、離婚、バッシング…。波乱万丈の過去を乗り越え、シンガポール人の愛する夫と娘と幸せに暮らすYuko(美元)さんが、モデル・インタビュアー・通訳・占い師としても活躍し、友人でもあるラヴィー・ヒトミ(以下ラヴィー)にだからこそ語ってくれた、プライヴェートのことや本音。後編では、夫婦げんかからの仲直りの方法や、つらい時でも、なぜポジティブに考えられるのか?の理由も飛び出して…。

Yuko Chan(美元)さん(左)とラヴィー・ヒトミさん(右)。2人で食事に行く時はインドカレーがお気に入り!


シンガポールの男性が妻に求めることは『僕のパートナーでいてね』ということだけ。週に1回は二人で食事、月に1度は二人で外泊


ラヴィー「シンガポールでの子育てや家事ってどうなんですか?」

Yuko(美元)「シンガポールの男性が妻に求めることって、すごくシンプルで『僕のパートナーでいてね』っていうことだけ。ご飯を毎日3食作るとか、そういうことを全然求めていないんです。シンガポールでは共働きや、ヘルパーさんの雇用が普通で、皆で力を合わせて子育てができている感じです」

ーー(編集部)それはレタスクラブ読者から見たら、夢のような話です!

Yuko(美元)「新婚夫婦でも義両親の家で同居する人も多いし、お姑さんに気をつかう文化もないんですよね。義両親の力を借りて子育てする人も多くて、義実家にいるほうが楽!という奥さんもたくさんいるくらいです」

ラヴィー「旦那さまとデートとかしてます?」

Yuko(美元)「ときどき、夫の愚痴をお義母さんや義姉に話すと、『2人の時間が足りないのよ! Yukoは子供の面倒を見すぎ。子供は預かるから、2人で出かけてらっしゃい!』と言われます。」

ラヴィー「日本だと、夫と2人きりで食事や外泊なんて逆に困るという人も多そうですが…」

Yuko「実現できていませんが、夫は『週1回は2人で食事に行きたい』『月1回は2人で泊まりたい』といいますね(笑)。だからといって、育児放棄ではなくて。日頃から育児のストレスがないから、子供にも余裕を持って優しく接してあげることができるんです。常に自分1人で見ているわけでなく、ふだんから家族皆で育てている感覚なので、周りの意見も素直に聞き入れやすいんですよね」

ラヴィー「シンガポール、いいですね! 私も視野に入れます!」

14歳からモデル業を始め、世界各国の人々と出会ってきたラヴィー・ヒトミさん


「彼とは意地の張り合いをしなくていい」夫婦げんかの最後は旦那さまがひざまずいての再プロポーズ!?


ラヴィー「すごく仲のいいご夫婦ですけど、けんかになることもありますか?」

Yuko(美元)「しょっちゅうです。でも、長引かせないように心がけています。夫はパッと火がつくけど、パッと消えるタイプ。例えばけんかに疲れて、私が『ハグ!』と言ったらハグしてくれて、それで終わることも多くて。意地の張り合いをしなくていいんですよね。ある程度伝えて気が済んだら、いつまでも理由を探したり、無理やり謝らせたりするのは意味がない。彼がそういう人だから、自分もそういられます」

ラヴィー「わーっと言い合って、ぱっと仲直りできるなんて、理想的!」

Yuko(美元)「最近は、ピリッとなったら、離れて違う部屋へ行くんです。同じ家にいるんだけど、LINEで言いたいことを彼にばーっと言って。その後、ちょっとした仲直りのための遊びなんですけど、私の結婚指輪をはずして隠すんです。それで、指輪を隠したことを告げて、LINEでヒントを送るんです。そうすると夫が探し始めるのがわかるんです…(笑)ガサガサ音がしていて、あ、探してくれているな、って…。」

ラヴィー「そこ! 普通日本の男性は探してくれないですよねー」

Yuko(美元)「彼の一番尊敬しているところは、変なプライドがないところ。折れてくれる優しさがあるんですよね。最後に指輪が見つかったら、ひざまずいてプロポーズから始めてくれるんです」

--(ラヴィー&スタッフ一同)きゃーーー! 素敵です!

彼女はとても尽くすタイプの女性。惚れられると幸せになれる人。けんかをしても娘の前で仲直りまで見せる


ラヴィー「Yukoさんのことが大好きなんですよね。Yukoさんは、とても尽くすタイプだから自分のことも他のこともやらなきゃと思って疲れちゃうんです。本来は、惚れられるくらいがちょうどいいんです。」

Yuko(美元)「もう1つ心がけているのは、もし夫婦げんかをしても、娘の前で仲直りまでちゃんと見せること」

ラヴィー「それはいいですね。子供ってやっぱり見てますもんね」

Yuko(美元)「最近は『けんかが終わったら教えてねー』と言われます(笑)。仲直りすることがわかっているから、安心しているんだと思います」

現在は娘さんと一緒にピアノやバレエなどの習い事を楽しむ日々。現地のママたちとはよさこい踊りやソーラン節も踊るのだとか! 今後は中国語も習得したいそう


迷っていた時、占いを真に受けすぎたり、不安をあおられてしまうこともよくあった


--(編集部)Yukoさんが初めてラヴィーさんに占ってもらった時、いかがでしたか?

Yuko(美元)「実は、30代の自分に迷っていた頃、占いを真に受けすぎて思い詰めてしまったり、不安を煽られてしまうことも良くあって、それ以来、占いを遠ざけていたんです。でも、Hitomiさんはシンガポールのテレビ収録で3日間ずっとご一緒しているうちに、自然に見てもらいたいなと思えました」

--(編集部)今までの占い師さんと何が違ったんでしょう?

Yuko(美元)「なぜ占い師になったのかうかがったら、『悩んでいる人の背中を押して上げたい』と言っていたのが印象的でした」

ラヴィー「自分は本当に落ち込むタイプだし、つらいことも多かったのですが、その時に助けられたのが占いだったんですね。だから、今度は私が誰かを助けてあげられたら、と思っているんです」

Yuko(美元)「不安をあおるような言葉が全くなかったし、本当に背中を押してもらえたんです。その時に自分が一番聞きたかった言葉を、カードを通じて伝えてくれたんですよね。自分の持っている運命を客観的に受け入れることもできたというか。

占いってこういうものなんだなと思いました。不安な心を癒してくれて、心細い気持ちを後押ししてくれて、救われました」

ラヴィー「Yukoさんは、とってもキレイな字で紙に細かくメモするんですよね。そんなに丁寧に書く人、いないですよ(笑)。ひとことも聞きもらさないんです」

ラヴィー・ヒトミさん自身が多くの経験をしてきたからこそのアドバイス


つらい日々でも、亡くなった病弱だった母のことを想って乗り越えてきた


ヒトミ「Yukoさんは、日本で活動していた時、離婚をきっかけにいろいろあって、つらい思いもしたと思います。でも、とってもポジティブで、今は幸せにあふれていますよね。どうやって乗り越えたの…?って正直思います」

Yuko(美元)「私は9歳の時に母が亡くなっているんですね。『私の母だったらどうしただろう』と考えて行動することが多いんです」

ラヴィー「お母様と一緒に生きているというイメージ?」

Yuko(美元)「そういうイメージはいつも持っています。『母が健康だったら、こういうことをやりたかっただろうな』とか、『この時代に母が生きていたら、絶対やっていたな』と思うと、いま生きている自分が疲れたとか、大変とか言えないんです。逆境もあまり逆境と思わないというか。

母は病弱で45歳で亡くなったんですが、その時に思ったのが、生きているだけでありがたいということ。こんなに元気に生んでくれたのに、自分の管理不足で自分を大事にしなかったり、健康を害したりするのが申し訳ないと思うんです」

ラヴィー「生きていることを当たり前と思う人がほとんどなのに、Yukoさんは生きることに一生懸命なんですよね」

Yuko(美元)「せっかく親からもらった命ですから、できるだけ健康に生活して、無駄にしないようにしないと」

ハッピーオーラに包まれているYuko(美元)さん!


いろいろ言われて悔しかった。でも、「周りの意見」にすごく左右されていると気づいてーー


ラヴィー「今に至るまでとっても大変な道のりだったと思います。『本当の自分はこうじゃないのに』と思ったことはなかったですか?」

Yuko(美元)「当時はほんとにほんとに苦しかったです。でも、日本での仕事ももう難しいなと思った時に、私の人生なんだから自分が主役のはずなのに、「周りの意見」にすごく左右されている、と気づいたんです。

当時、ブログに1日に700万件とかアクセスがあって、一字書くことすら怖かったんですね。

でも、顔も名前も知らない、恐らく私の人生に関わることのない人のことを気にして、本当に心配してくれている親や友人に心配をかけるなんて本末転倒だと。

以前は職業柄、万人に受け入れられたいと思っていましたが、自分を本当に思ってくれる人を大切にして、そういう人と関係を構築できればいいと思えるようになって」

すべてを手放したから今がある。実際会った人に「もう一度会いたい」と言われる人になりたい


ラヴィー「そして海外に行くと決めて」

Yuko(美元)「海外に行くと決めた時、携帯番号もメアドも全て変えたんです。私が連絡したい人にだけ、自分から連絡できるようにしたいと思って。そのまま持って行くこともできたかもしれませんが、その時は直感的に『あ、いらない。手放そう』と思えて。

それで、本当に大事なものに気付くことができました。改めて思うんですけど、手にしたものを離せば、また違うものをつかめるんですよね。

今は、会ったことがない人に何を言われてもいいけど、実際会った人に「もう一度会いたい」と言われる人になりたいですね。40歳になったのも強い。以前はカッコつけていた部分もあったけど、『もうおばちゃんだし!』と思えるようになりました。いい意味で(笑) 父の口ぐせは「元気が1番、笑顔が2番、あとはオマケ」。本当にそうだな、って」

ラヴィー「Yukoさんの運命としては、どんな困難があっても、乗り越えられる強さを持っていて、本当に必要なものは手に入れられる人だから、現在のような人生を送ることになったのは必然だったと思いますよ」

撮影中も和気あいあいの2人。この日のタロットでは、「Yukoさんが愛と感謝の気持ちを持てば、この先どうしたらいいか自分の役割がわかってきます」とのメッセージが出ました


ラヴィー・ヒトミよりーーーー

輝くような笑顔と愛らしい声で丁寧に話してくれたYuko(美元)さん。

初めてお会いした時、そのスタイルのよさに圧倒され、そして全身から出るハッピーなオーラに驚かされました。同時に、数々の困難を乗り越えてきた人のしなやかさと芯の強さも垣間見られ、ひとつひとつの言葉に魅了されっぱなし。

今の夢を聞くと、「娘が来年小学校に入ったら、2人目の子供を授かりたい」と話してくれました。

何かを手離すことは、誰にとっても勇気のいることですが、笑顔と感謝を忘れずに、過去の経験を活かしていく生き方が、新しい人生を切り拓いていくのだということを教えてもらいました。

インタビュアー=ラヴィー・ヒトミ

編集協力=岡田知子(BLOOM)/写真=松本順子


岡田知子(BLOOM)

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Information

美元さん流「幸せをつかむ方法」(1) 離婚、バッシングを乗り越えシンガポールでゼロから再出発

Yuko Chan(ユウコ・チャン/美元)
東京都出身。2000年、ミス・ユニバース・ジャパン準グランプリ受賞。以降、インターナショナルモデルとしてパリや香港、台湾など国内外でショー、雑誌、広告等で活躍。以降、女優としても活動し、主演映画「M」が東京国際映画祭にて特別賞受賞。2019年、ミス・シンガポール受賞、「ミセス・グローブ」世界大会に出場。モデル、ウォーキング講師のほか、チャリティ活動にも精力的に取り組んでいる。
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ラヴィー・ヒトミ(HITOMI)
幼少期からモデルを始め、14歳の時に小学館『プチセブン』の専属モデルでデビュー。19歳で単身カナダへ留学し、トロントの高校、短大、大学に通う。その後、トロントでモデル復帰。約10年滞在後、帰国。現在は、モデル・通訳のほか、ラヴィー・ヒトミの名で占い師としても活躍中。相談者と同じ目線で苦しい気持ちを理解しながらアドバイスし、各業界から定評がある。
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