女優から芸人に転身。エド・はるみさんが40歳で20年続けた道を選び直した理由

40代でお笑い芸人を志し大ブレイクしたエド・はるみさん。その後、50代で慶應義塾大学大学院に入学し、現在は筑波大学大学院博士後期課程に在学中です。さらにトライアスロン完走や二科展入選など、年齢にとらわれず挑戦を続ける姿が注目を集めています。
そんなエドさんが、最新エッセイ集『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』を発表しました。本書には、彼女が困難や不安に直面するたびに、自らを奮い立たせてきた心の支えとなる言葉や考え方が綴られています。
今日はそんなエッセイの中から、吉本興業の養成所入りを決めた頃のエピソードをご紹介します。エド・はるみさんは、一体どんな思いを抱いて40代からお笑いの世界に飛び込んだのでしょうか。
「女優」から「芸人」を目指す
私は現在、吉本興業に所属しながら、筑波大学大学院の博士課程でデザイン学を学び、研究をしています。一週間のうちの約半分ずつ、大学院が在る茨城県のつくば市に借りた部屋と、東京の自宅を行き来する毎日です。
「エドさんはどうして芸人になったのですか?」と聞かれることがあります。
私は、ある日突然芸人になりたいと思い立ったわけではありません。元々は、小学生の頃から芝居の世界に憧れ、女優を目指していました。
そこから「笑い」の世界に転じたのは、大学を卒業後、本格的に芝居の世界に足を踏み入れてから、約二十年が経った頃でした。
私はその二十年の間、無名ながらもドラマや映画、舞台やCMなどに出演し、その一方で同時に自分のライフワークとしてずっと、一人芝居の舞台を十数本打ち続けて来ました。その一人芝居は、舞台の脚本から演出、出演や制作など、すべてを一人でやっていたのですが、作品の内容はどれもシリアスなものでした。
笑いは一切ありません。ですからお客様が本当に楽しんでくれたかどうかは分かりません。しかし《笑いの世界》では、笑い顔や笑い声で、お客様が楽しんでいることが演者にストレートに伝わります。
そんな私の一人芝居の作品がちょうど十本目になり、そのキャリアが約二十年を過ぎた時、私は初めてふと立ち止まり、「自分の舞台を観に来てくださった方々は、終演後に会えば『良かった』と言ってくれるけれど、本当に楽しんでくれたのだろうか?」と考えるようになりました。
私は小さな頃から人を笑わせるのが大好きで、小・中・高校と学校での催し物では常に台本を書き、先生のモノマネや寸劇などを作ってみんなを笑わせたい生徒でした。そこからさらに成長し、現実的に大学卒業後の進路を考える時には「女優になる」と決め、敢えて笑いを排した、シリアスな芝居が主流の新劇を目指すことにしたのです。なぜなら、〈笑ってもらう〉ことで喜んでしまう自分でいいのか?(それがいかに難しいことであるか、後でそれを痛いほど知るのですが。)笑いが起きたことに喜び、そこに安住する自分ではいけない、と思ったからです。
しかし二十年を経て私はやはり、観に来てくださった方々に楽しんで帰ってもらいたい。観に来てよかったと思って欲しいという気持ちが日に日に強くなり、ならばここからもう一度、自分の〈原点に戻ろう〉と思いました。その私の原点とは、「笑い」です。自分が表現することで、やはり観た人に笑ってほしいということでした。
そして新劇から、「笑い」という原点に戻り、あの「R-1ぐらんぷり」に挑戦することにしたのです。「R-1ぐらんぷり」とは、まさに一人芸で、目の前のお客様をいかに笑わせられるかを競うコンテストです。
お笑いに関して素人同然の私でしたが、小さな頃から人を笑わせて来た(と勝手に思っていただけですが)経験があったために、大変お恥ずかしいのですが、その時は変な自信のようなものが少しだけあったのです。
しかし一回戦を無事に通過し、二回戦に駒を進めることができた時、その自信は木っ端微塵に砕かれました。まさに私が心を入れ替えるきっかけとなる出来事が起こったのです。
それは二回戦の舞台でのことです。私は一生懸命、マイクの前で自分のネタを演じます。しかし私の目の前に座っていた若い一人の女の子が、おもむろに携帯電話を取り出し、メールを始めたのです。ショックでした。
そして結果は二回戦敗退。私は自分が自己流で、しかも身内ウケで笑ってもらっていただけの井の中の蛙だったことを思い知らされました。
私は、本格的に笑いを勉強しようと決意しました。ある日ネットで様々な笑いに関する情報を調べていると、あの吉本興業のお笑いの養成所である「吉本総合芸能学院(吉本興業の養成所(NSC))」の募集要項を見つけたのです。直感的に私は「これだ!」と思いました。
しかし吉本興業といえば、お笑い界の東大のような存在です。この年齢で、到底私が入れるとは思えませんでした。なぜなら芸能界で「事務所」に入ることの難しさを、私は身に染みて知っていたからです。そして、もしもこの養成所に入れたとしても、周りの年齢はきっと自分の半分ほどの若者たちでしょう。色々大変な思いをすることは目に見えています。私はすぐに「無い無い!」と、その受験する気持ちをかき消しました。
でもあの吉本で、本当の笑いを勉強できるなら……。そんな期待と不安が入り混じる葛藤の中、募集締め切りまでの時間はどんどん過ぎていきました。
背中を押してくれた一言
吉本興業の養成所募集の締め切りが数日後に迫りながらも、私はその決断が出来ずにいました。怖かったのです。
応募条件は「十八歳以上」とだけ。当然応募者はみんな二十代前後の若者たちでしょう。そこへ彼らのお母さんほどの年齢の私が行って、嫌な思いをするのは目に見えていました。しかし一方で、その未知の世界に惹かれている自分もいたのです。
私は、ある一人の友人にだけ相談をしました。するとその友人は「ここで行かなかったら、去年と同じ一年だよ。」と言ったのです。その言葉を聞いて私はハッとしました。
〈去年と同じ一年〉――。それは、芝居を打つ公演費を捻出するために、朝から晩までアルバイトする日々。そしてその公演を観に来てくれた誰かが、「この娘(こ)は……!」と私を見出してくれ、女優としての道が拓ける……。そんな夢物語のような奇跡だけを信じて一人芝居を打ち続けて来たこれまでの二十年は、そんな一年の積み重ねでした。しかしそのやり方で、今日まで結果が出ていないという現実……。
私は「もうこれ以上同じ一年を過ごしてはいけない」――。
そう初めて強く思いました。
私が二十代の頃は、日本はちょうどバブルの真っ只中。同世代の若い大学生や女性たちが高級なブランド物のバッグを持ち、おしゃれな洋服に身を包んでキラキラと輝き、街を闊歩(かっぽ)していました。けれど私にはブランド物など夢のまた夢です。それでも私は「絶対に女優になる」という一心の希望で、一度も自分を惨めだとか貧しいなどと思ったことはありませんでした。
けれどもうこれ以上同じやり方を続けていてはいけない。
そして、覚悟が決まりました。
私は「これが人生、本当に最後の勝負だ」と、吉本興業に願書を送ったのです。

プロフィール
エド・はるみ……17歳で映画デビュー。明治大学文学部卒業後、劇団「円」の養成所を経て、約20年間女優として活動を続けるが、2005年に笑いの道に転じ、吉本興業の養成所の門を叩く。2008年に持ちネタの「グー!」で、数々の賞を受賞のほか、流行語大賞を受賞。長年の夢であった24時間マラソンランナーにも選ばれ、当時女性最長だった113kmを完走。2016年4月に慶應義塾大学大学院の修士課程に入学し2018年修了。2023年4月には筑波大学大学院の博士課程に合格して入学し在学中。現在、難関の博士号取得を目指し研究を続けている。
※本記事はエド・はるみ著の書籍『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』から一部抜粋・編集しました。
著=エド・はるみ/『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』
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