ひと口も食べずにひっくり返ったお弁当。子どもの失敗を「かわいそうに」となぐさめる前に/大人になってもできないことだらけです(3)

興味なさそうにされると、傷ついたりムカッとしたりする

とりとめのない話、例えば何度も忘れ物をしたとかゴミを出し忘れたとかそんな話をしたときに「だから?」と興味なさそうにされると、傷ついたりムカッとしたりする。

とりとめのない話なのだから取るに足らないと思われてもいいはずなのに、なぜか傷つく。

それは、自分の話に興味を持ってくれないとか無下に扱われたというような、相手の振る舞いだけが原因ではなく、自分の中にも要因があるような気がする。

例えば、僕自身が知らぬ間に相手の反応を予想あるいは期待しているんじゃないかと。

こんな風に返ってくるのかなと。ありがとうと言えばどういたしましてと、頑張れよって言ったらお前も頑張れよと返ってくるように。期待に似た「当たり前」を抱いているのかもしれない。

それが明確ななにかではなくても、無意識になにかしらの期待をしていて、そして「思っていた反応と違う」ことにがっかりしているんではないだろうか。期待はしていなくても想定はしている。

あの子があんなことをするなんて、あの人があんなことを言うなんて、と裏切られた気分になったら、もしかしたらそれは自分が勝手にその人を想像の中で作り上げたり、自分の「当たり前」で勝手に期待しているだけなのかもしれない。

いつも遅れて来るからとギリギリの時刻にバス停に向かったら、バスが停留所を通り過ぎたところだった、ということが何度かある。

いつも遅れるくせに……とは逆恨みもいいところで、完全に自分のミスなのにイライラしてしまうのは、遅刻するかもという余裕のなさではなく、想定通りにことが運ばないからなのだろう。

朝晴れていたのに帰宅のタイミングで雨に降られる。運が悪いなという気持ちとあわせて、天気予報では降らないと言っていたのに…と、傘を持たなかったことを誰かのせいにしたりする。

けれどよく考えたら、天気なんて自分じゃどうしようもないこと。ある程度の予測はできてもコントロールできないことはわかっている。なのにイライラしてしまうのは、想定外のことが起きたことが気に食わないのかもしれない。

いつも乗っている時間に電車が来ない。思っていた言葉を返してもらえない。子どもが言うことを聞いてくれない。そんなときについイライラしてしまうのは「余裕がない」のとあわせて「思い通りにいかない」という要因もあるのだ。

それは、わがままという意味ではなく、僕たちは無意識に自分に都合のいいことを想定したり期待したりしているということ。

買いたい物が買えたり、食べたい物が食べられたり、誰かが自分の言うことを聞いてくれたり、ある程度自分の思った通りに生きられる経験をしていると、気づかぬうちになんでも努力次第で計画通りに進むと錯覚してしまっていたりするのかもしれない。

けれどどうかな。考えてみれば、自分の思い通りになることのほうが少ないんじゃないだろうか。他人の言動も、電車の発着も、天候も、どんな事象も自分の意のままにはならない。それを存外忘れがちなのだ。雨が降るかどうかわかっても雨を止ませることはできないように、どんなことも、ある程度予測ができたとしてもコントロールするのは難しいし、それは傲慢でもある。

雨が降るなら傘をさすか雨宿りをするように、自分じゃコントロールできないことに一喜一憂するよりも、思い通りにいかないこととどう向き合うのかを考えたほうがいいのかもしれない。

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