「偶然だね」…何も知らないのはあなただけ/気がつけば地獄(7)
ここまでのあらすじ
紗衣は、夫の祐一に内緒で美顔器を購入するが、宅配便で届いたのは、別の住所宛の荷物だった。この誤配達を企てたのは、祐一とつき合っている、宅配会社勤務の夏希。紗衣は、届いた荷物の送り主・田中商事に電話をするが、威圧的な男性に「荷物を引き取りに行く」と迫られてしまう。想定外のその状況を、紗衣のSNSで知った夏希は、紗衣が夫に相談しないよう、DMで相談に乗ることに。数日後、紗衣は自宅エントランスで見知らぬ男を目撃。ポストには1枚の紙が入っていた。
【第7回 偶然の一致】
晴哉の手を引き、急いでオートロックを開けて中へ入った。心臓が激しく打って、吐いてしまいそうだ。晴哉も何か感じたのか、ぎゅっとわたしの手を握っている。
部屋に入って玄関の鍵を閉めると、ほっとして、スーパーの袋をキッチンの床に置くのと同時に、座り込んでしまった。
その袋の口から、先ほどの紙が見える。
『荷物をお返し下さい。また電話いたします。田中商事』
パソコンで書いて、プリントしたものだろう。
「ママぁ、おやつ」
晴哉が背中にもたれてきたので、慌てて袋に手を突っ込んで紙を中へ押し込み、ビスケットの小袋を出して渡した。
「手を洗ったら、あっちで食べなさい。牛乳も飲んでいいよ」
晴哉が行ってから、紙を取り出して開く。先ほどエントランスですれ違った、柄の悪そうな男たちが怪しい。きっと、家を知られてしまったのだ。おさまっていた動悸が、再び激しくなる。
もう、黙ってはおけない。わたしはバッグからスマホを出し『今日、早く帰れないかな?』と打って祐一に送ってから、やっと腰を上げた。
話すと決めたら、恐怖心は少し薄らいだ。しかし、代わりに気が重くなった。内緒で高額の買い物をしたこと、誤配達のことも隠して、勝手に行動したこと、その結果、家族を危険な目に遭わせかねない事態を招いたこと。どう説明しようが、彼の怒りを買うことは免れないだろう。パートも辞めさせられてしまうかもしれない。
祐一から返信が来たのは、晴哉を寝かしつけ、リビングに戻った頃だった。
『残業だけど、何か用?』
用があるからメールしたのに、と気持ちが沈む。欲しかった言葉は、こんなのではない。「どうしたの?」とか「残業なんだ、ごめんね」とか「電話しようか?」とか……。
返事の言葉が見つからぬまま、わたしはメールを閉じて、ツイッターのDMを開いた。やりとりしているのはナナだけなので、すぐに彼女のアイコンが出てくる。
『ナナちゃん、こんばんは。実は、この間の怖そうな会社の人に、ウチがばれちゃったみたい』
間髪入れずに、返信がきた。
『サニーさん、大丈夫!? いったい何があったんですか?』
『郵便受けに、脅迫状みたいなものが入ってたの』
『え! どんな内容ですか?』
わたしは、祐一に見せるためにテーブルに置いておいた紙をスマホのカメラで撮影し、それを送った。
『これです。やばいでしょう?』
『うわ!』
『マンションに、変な男が二人、うろうろしてたのも見たの。もう、警察に届けるつもり』
『ちょっと待っててくださいね』
『うん』
待つ間、彼女のツイートを読む。キャリアアップを考えているのに、なかなかいい転職先が見つからない、と書いてあるのを読んで、胸がちくんとした。もうすぐ結婚するというのに、キャリアアップを目指しているなんて、どんな仕事をしているのだろう。勝手に想像していたのは、昔のわたしのような代替のきく職種だったが、そうではないのかもしれない。結婚しても子供ができてもバリバリ働いて稼ぎ、美容にもファッションにも気兼ねなくお金をかけて、家の中でもキラキラ輝いているような女が頭に浮かび、ちくんちくんと胸を刺してくる。
その時、DMのアイコンに着信のマークがついた。
『サニーさん、これ見て』
添付された画像を見て、思わず小さく悲鳴を上げた。それは見知らぬ人のツイッターのキャプチャで、何とうちに来た紙と同じものを写した画像だった。添えられたツイートは「家にキモい紙が届いたんだけど、これ何かの暗号?」だ。
『どうしたの、これ』
『ツイッター内検索で、見つけたんです。きっと、サニーさんと同じマンションの人ですよ。田中商事、マンション全戸にそれを投函したんでしょう。絶対に、サニーさんの部屋をつきとめたわけじゃないです』
『絶対に?』
『よく読むと、文面ははっきり脅しているわけじゃないので、変だなと思ったんです。こういうことをして、サニーさんが動きだすのを待ってるんですよ』
『じゃあ、何もしないほうがいいってこと?』
『そうです。どんな網を張っているのかはわかりませんけれど、動きさえしなければ、向こうはお手上げです』
なんて頭がいいんだろう。彼女はわたしなどよりずっと賢く、経験値も高い大人だ。
* * *
『ありがとう、ナナちゃん。わたし一人だったら、こんなこと考えられなかった。紙はすぐ捨てて、なかったことにするね。実は、もうちょっとで夫に話すところだったの。話してたら、きっと叱られて大変だったと思う。本当にありがと!』
DMを読んで、大きな溜め息が出た。危なかった。祐くんがわたしの部屋を出たのが三十分くらい前だったから、奥さんが待つ自宅にあと十分ほどで着いてしまうところだった。
ふう、ともう一度溜め息をつく。目が、『話してたら、きっと叱られて大変だったと思う』というところを何度も行き来している。まったく、わたしは何をしてるんだろう。奥さんが美顔器のことを祐くんに話したら、もしかしたら夫婦の間に亀裂が入ったかもしれないのに。
でもまだ、今はだめだ。次の就職先が見つかって、宅配会社を辞めるまでは、祐くんに知られたらまずい。
誤配達からややこしいことになったあと、奥さんと顔を合わせたくないと思っていたら、会社の方から配達担当地域の変更をしてくれた。奥さんがクレームの電話をかけてきたので、トラブル回避の処置だった。それはラッキーだったけど、もしも祐くんがこのことを知って、会社に乗り込んできたりしたら、一巻の終わりだ。それだけは避けなきゃならない。だから、今はまだだめ。
転職先は、なかなか見つからない。いくつか履歴書を送って、面接も一件受けたけど、雇ってもらえなかった。仕方なく前に登録していた派遣会社にも連絡してみたけれど、この前、衝動的に宅配会社への転職を決めて契約満了前に辞めてしまったから、条件の悪いところしか紹介してくれない。考えていると、不安で頭がおかしくなりそう。
わたしは『どういたしまして』と打ち込んでいた文のあとを続けた。
『旦那さん、サニーさんを叱ったりするんですか?』
返信までに、少し間があった。何を考えているんだろう。
『ううん、いつもはとっても優しい人だよ。でも今回は、相談しないで大きな買い物しちゃったからね』
『わ~、優しい方なんだ、いいな』
さっきよりも、長い間が空いた。
『ナナちゃんの婚約者は、どんな人なの?』
今度はわたしの手が、『優しい人です』と書いたところで止まる。そして続けた。
『でも、ひとつだけ不満があります。彼、SNSが大嫌いで、わたしも使うのを禁止されているんです。だからこのツイッターも内緒。今からこんな調子でいいのかなー(笑)』
今度は、即座に返事が来た。
『うちの夫もそうなの! だからわたしも内緒でやってる。偶然だね』
偶然じゃないよ、奥さん。
著=岡部えつ/『気がつけば地獄』(KADOKAWA)
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