30年以上家族から虐待を受け続けた男性の夜逃げ。その現場を見た『夜逃げ屋』スタッフが語る「生きるための夜逃げ」

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家族から長年虐待を受けていた36歳の依頼者は、5回目でやっと夜逃げに成功(『夜逃げ屋日記』より)

「夜逃げ屋」という職業があることをご存知ですか? 夜逃げ屋とは、DVや毒親、ストーカーなどから被害者を逃すことを目的に引越しを行う業者のこと。漫画家の宮野シンイチさんは、ひょんなきっかけから夜逃げ屋で働くことに。実際に現場に行ってみると、そこにはさまざまな複雑な事情を抱えた人がいて……。

X(旧Twitter)にて公開されるや大きな反響を呼び、現在2巻まで単行本が発売されている実話コミックエッセイ『夜逃げ屋日記』。今回は、『象の鎖』に登場する36歳男性の夜逃げエピソードや、豪快な女社長の印象、漫画を描く時の工夫などについて、著者の宮野さんにお話を聞きました。

『象の鎖』あらすじ


 虐待を受けていた依頼者

ある日の依頼者は36歳の男性・村田敏夫さん(仮名)。兄は両親に溺愛されていたのに、兄のようになれなかった敏夫さんは長年「失敗作」「病原菌」などと呼ばれ、同じ食卓につくことも許されず奴隷のように虐待されてきたといいます。兄は今も毎日のように暴力を振るってくるのですが、父が他界し母が寝たきりになって、ようやく「逃げる」という選択肢が芽生えたそうです。

待ち合わせ場所に現れた敏夫さんを見て、宮野さんは驚きます。36歳よりもずっと上の年齢に見えました。先輩によると、長年のストレスで見た目が老け込んでしまうのは夜逃げの依頼者さんにはよくあることだそうです……。

 『夜逃げ屋日記』より

敏夫さんの兄の不在の間に夜逃げを決行しようとしたものの、兄から30分後に帰宅するという連絡が入りました。スタッフたちは動揺しますが、夜逃げ屋の女社長は「今日なんとしても夜逃げさせる」ときっぱり断言。これまで5回夜逃げを延期していた敏夫さんは、自殺未遂もしていて、もう限界だと社長は思っていたのです。

『夜逃げ屋日記』より

廃品回収業者のフリをして荷物を運び出そうとする「夜逃げ屋」一同。業者を招き入れることを敏夫さんが母親に伝えに行くと、その部屋からは「そんな話聞いてねえぞ!」「舐めてんのか!」「近寄るな!」など、激しい罵声が聞こえてきました。荷物を運び出す作業をしながらも、宮野さんは敏夫さんの母親がどんな人か気になり、部屋を覗いてみたのでした。

 『夜逃げ屋日記』より

ドアの隙間から見えたのは、さきほどの罵声からは想像もできなかった、細くやせ衰えた腕。宮野さんは「象の鎖」という話を思い出します。

 『夜逃げ屋日記』より

簡単には外せない家族の鎖

鎖に繋がれた子象は、鎖を壊す力はなく逃げられないまま育ちます。「自分にこの鎖は切れない」と刷り込まれたせいで、成長して力がついても大人しく鎖に繋がれたままでいるという話でした。村田さんにとって、家族はその「鎖」なのだと、宮野さんは感じたそうです。

 『夜逃げ屋日記』より

どうにか無事に夜逃げを終えて引越し先に落ち着いた村田さんは、「家族が怖くて仕方ないのに、いつか自分を家族として認めてくれるんじゃないかとどこかで期待してた」と泣きながらこぼしました。不安そうな村田さんに、社長は「村田さんは一人じゃない」「先に進めなくなったら、その時はまた私を呼べばいい」と声をかけるのでした…。

 『夜逃げ屋日記』より


平和に生きるためなら逃げるのも間違いじゃない


――個性強めで豪快な女社長がとてもかっこいいです。宮野さんから見てどんなお方ですか?

宮野シンイチさん:社長は本当に漫画のままというか、初期の頃から印象がほぼ変わっていないんですよ。ずっとフレンドリーな姐御のような存在です。
初期の頃から印象が変わってないというのは、それだけ表裏がなくて、芯の通った人なんだと思っています。

――この人がいれば大丈夫!と思わせてくれるような威風堂々たる存在感ですよね。ところで宮野さんご自身は「夜逃げ」という手段についてどのように考えているのでしょうか?

宮野シンイチさん:平和に生きるためなら逃げるのもあり、だと思います。
命をおびやかされたり、追い詰められて死を選んだり、行き過ぎた反撃をしたり……。そんなニュースが後を絶ちませんよね。それよりかは「逃げて人生やり直す」。それでいいと思います。

 『夜逃げ屋日記』より

村田さんのように長年にわたる家族のしがらみから逃げて、新しい人生をやり直すというパターンも多いです。
血のつながった家族だからこそ見捨てられない、信じたい、逃げたらいけない。いろんな思いがあってようやく踏み出せた一歩なんだと思います。

 『夜逃げ屋日記』より

 『夜逃げ屋日記』より


まだまだ続く『夜逃げ屋日記』新キャラも登場予定!


――漫画を描く時に工夫していることはありますか?

宮野シンイチさん:とにかくわかりやすさを重要視してます。実は使おうと思えばいくらでも難しい専門用語を入れられますし、一つの依頼を10話でも20話でも伸ばして描こうと思えば描けるんですが、あえてそれはしていません。SNSで連載していることもあって、とにかく読みやすく、けどその中に伝えたいことはきちんと入れて描く。そこは最初から今まで一貫して守っています。

――宮野さんがこれから描いてみたいことや挑戦してみたいことがあれば教えてください。

宮野シンイチさん:『夜逃げ屋日記』はまだ自分の頭の中にあるストーリーの2〜3割しか進んでいないと思っています。未登場のキャラを全員出して初めて5割ちょっと行くかな?くらいの想定です。なのでまずは、そこまで描き切ることを目指しています。

社長に夜逃げさせてもらった人ですか?

みんな何かを抱えている


――『夜逃げ屋日記』のほかに描きたいものはありますか?

宮野シンイチさん: 他社に漫画の持ち込みをしていたときにボツを食らった作品達をなんとかして形にしてあげたいですね。それはずーーーーっと思ってます。作品は作者にとって子どものような存在なので。

――最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

宮野シンイチさん:自分は漫画家としてまだまだ駆け出しで、拙いところも多々ありますが、とにかく一生懸命、自分が伝えたい思いを作品に込めて描き続けています。2巻まで本を出せているのは他でもない読者の皆さんあってこそです。これからも精一杯頑張って描き続けますので、どうか応援のほどよろしくお願いします!

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今いる場所に居続けることが辛くなってしまった人々に、優しく寄り添い、夜逃げという形で人生のリスタートを切らせてくれる夜逃げ屋稼業。夜逃げの現場で巻き起こる壮絶なエピソードや個性あふれるキャラクターたちから今後も目が離せません。

取材・文=宇都宮薫

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