1.扶養内で働いていたときの不満、不都合
扶養内で働いていたときは、以下のような不満がありました。
●仕事をセーブする必要があり、新しい仕事に挑戦できなかった
●ちょっとした贅沢を我慢していた
私の場合、給与年収130万円が、扶養内でいるためのボーダーラインでした。月額にすると10万8,333円に抑える必要があったため、時にはお仕事をお断りすることも。「まだ働けるのにもったいないな」「収入の上限を気にせず、挑戦してみたい」と感じることが増えてきました。
また、扶養内でいたときはちょっとした贅沢を我慢しがちでした。扶養を抜けてからは、美容院で少し高いトリートメントをしてもらったり、遠方の友達に会いに行ったりできるようになりました。
扶養を抜けたことで、仕事に積極的にチャレンジできるようになったことと、収入が増えて生活が豊かになったことは、とても嬉しい変化です。
2.Webライターを始めたきっかけ。どうやって学んだか
私がWebライターを始めたきっかけは、月の収入を扶養内に収まる上限額まで上げたかったからです。私は高校で英語の非常勤講師として働いていたのですが、学校行事や夏休みの関係で授業がない日も多く、月の上限である10万8,333円を安定して稼ぐことができていませんでした。そのスキマを埋めるために、副業でWebライターを始めることにしたのです。
ライティングスキルは、以下の書籍やYouTubeで学びました。
【書籍】
●デジタル時代の実践スキル Webライティング
●マクサン式 Webライティング実践スキル大全
●沈黙のWebライティング
【YouTube】
●マナブ
●ウェブ職TV
また、お仕事をするなかでいただく改善点から学ぶことも多いです。私の場合は、いただいた改善点をノートに書き溜め、次回の執筆時に実践するようにしています。たとえば、以下のようなものです。
【改善点の例】
●なくても通じる接続詞は省く(「また~」など)
●表記ゆれを確認する(~な方、~な人など、似た言葉を統一する)
●適度に見出しを分けたり、箇条書きを入れたりする※案件による
インプットとアウトプットを繰り返すことで、徐々に力が付いてきたと実感しています。
3.扶養内から扶養抜けするまでの収入推移
私は、3年ほど扶養内でWebライターの経験を積み、その後、フリーランスのWebライターとなりました。扶養を抜けるタイミングや扶養抜けするまでの収入推移をお伝えします。
1~10万円で調整していた副業時代
扶養内で働いていた3年間は、月の収入が扶養内に収まるように、Webライターの仕事量を平均1~10万円内に調整していました。たとえば、パート代が7万円になりそうな月は、ライターのお仕事は3万円分までという感じです。
Webライターでの収入は、基本的には1~5万円ほどで、夏休みなどの長期休みは10万円の収入を得ていました。
月10万円を達成できたのは、Webライターを始めて2年目の夏です。直接契約していた発注主から仕事量を増やしてもらえたことで、収入につながったのです。このとき「扶養内Webライター1本にするのもありだな」と考えるようになりました。
ただ、10万円以上の収入を継続して得られる自信はなかったので、3年目も扶養内で働きました。
月20万円が確定したところで扶養抜けを決意
3年目にはディレクター業にも挑戦し始めました。ディレクター業とは、ライターさんの記事添削や案件の進行管理などを行う仕事です。
このころには、仕事に慣れて任せていただける範囲も広がり、Webライターだけで月に10万円以上の収入が得られることを確信し「扶養を抜けてもいいな」と思い始めました。
扶養を抜けるなら月20万円くらい収入を得たいと思い、フリーランスエージェントサイト※を利用して月10万円の案件に応募。運よく受注できたので、思い切って扶養を抜けました!
※新規クライアントの開拓から案件の獲得まで、 一貫したサポートを提供するサービス
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今回はフリーランスWebライターのNanaさんに、扶養内でライターを始めたきっかけや、扶養抜けまでの収入推移を伺いました。
Nanaさんの場合、継続案件が増えたことやディレクター業に挑戦するようになってから、安定して月10万円を得られるようになったようです。月収が10万円を超えると扶養から外れることを検討するタイミングのようですね。
Webライターは、パソコンさえあれば未経験でも始めやすい仕事です。これからWebライターに挑戦してみたい人は、まず副業から始めてみてはいかがでしょうか?
▶プロフィール
Nana
小学生と中学生を育てるママライター。扶養内パートのかたわら副業でWebライターを開始。現在は扶養を抜けて、フリーランスのWebライター・ディレクターとして活動中。
文=YY