ずっと「何者か」になりたいわたしが小説家になれない完全無欠な言い訳/夢みるかかとにご飯つぶ(4)
母になっても、四十になっても、まだ「何者か」になりたいんだ。私に期待していたいんだ…。
「好書好日」(朝日新聞ブックサイト)の連載、「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」が話題となった、ライター・清繭子さんのエッセイ『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)。
何者かになりたいと願い、小説家を目指して試行錯誤する様子を赤裸々に綴った、心に沁みるエッセイです。
このエッセイから「小説家になれない完全なるアリバイ」のエピソードをお届けします。
※本記事は清繭子著の書籍『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)から一部抜粋・編集しました。
小説家になれない完全なるアリバイ
これまで、作家さんに取材するたびにこすい私が胸の内でチェックしていたこと。それは、子どもがいるかどうか。
子どもがいる作家さんももちろんいる。その場合は次のチェックをする。
子どもが何歳か。うちの子たちみたいに幼児かどうか。
食べるのもうんちするのも眠るのもお手伝いがいる、ちっとも目を離せやしない幼児を育てているのか、自立した少年少女を育てているのかで全く違いますからね。
たとえば朝の私にはパンの耳を食べるという仕事がある。下の子がパンの耳は「がぎがぎしててたべられないの」と言うので、パンの耳をなるべく身をのこすようにちぎっては食べるという集中力を要する仕事だ。そんなことしてたら甘えた子に育つ、という意見もあるだろうが、ここで無理に食べさせようとすれば、二十分はぐずることが確実。これは合理的判断なのである。
子どもがイヤイヤ期だったときは大変だった。何がスイッチになるかわからない。靴のベルトを付け直しただけで阿鼻叫喚(あびきょうかん)、おやつの袋を開けて渡しただけで地獄絵図。「あ、ちがったよねっ、自分でやりたかったよねっ、ごめんねっ、ごめんねっ」とオロオロなだめていたら、傍で見ていた友人が「繭ちゃん、モラハラ夫に怯える妻のよう」と笑ってた。
さて、幼児を育てる作家さんももちろんいる。その場合は次のチェックに進む。
子どもは一人か、複数か。
言わずもがな、複数のほうが大変だ。
雨の月曜日は最悪だ。子どもにカッパを着せ長靴を履かせ×2、雨用カバーをかけた自転車に前十五キロ、後ろ二十二キロの子どもを乗せ、保育園の一週間分の着替え、おむつ、お昼寝用のタオルケット一式×2をしょって、中国雑技団みたいな有り様で保育園に行かなければいけない。ふつうに危ない。雪が降るとスリップが怖いので徒歩で連れて行く。すると子どもたちがそれぞれのペースで盛大に寄り道をし、もちろん小競り合いも勃発し、道に落ちてる錆びたキーホルダーを「たからものにしていい?」と言うのを諦めさせ、自転車なら五分の保育園に辿り着くのに三十五分はかかる。下の子のイヤイヤ爆発をなんとかなだめたと思ったら、今度は待ち疲れた上の子がグズグズしだし、それをなだめているうちに下の子がやきもちを焼いて……と二人がぐずりの永久機関と化すこともある。ほんとにみんな、お疲れさまだよ。
おっと、このチェックも忘れてた。作家さんはママなのかパパなのか。
先に断っておくと、うちは家事も育児も分担制。夫の家庭内での働きに不満はない。ただ問題は、カスタマー側のニーズである。あちらさんがどうしても「ママじゃなきゃダメ」と指定してくる。靴下を履かせるのも、絵本を読み聞かせるのも、お風呂に一緒に入るのも、ご飯を食べさせるのも、とんとんするのも、オンリーわたくしめにご指名いただく。これがキャバクラだったなら、今ごろ私はタワマン住んでる。
何度か子どもに伝えている。「ママじゃなきゃってたぶん勘違いじゃないかなあ。ダダがやってもおんなじことだと思うけど」
ひよこが最初に見たものを親だと思うように、乳をやれるのが私だけだったせいで、「自分の世話ができるのはこの女」と刷り込まれてるんじゃないかと思うのだ。もう君たち卒乳してずいぶん経つし、その刷り込み、解除してくんないかな。だが、今日も彼らは口を揃える。「ママがいいー!」
最後はこのチェック。
子どもが幼児だった時点で作家さんは兼業だったか、専業だったか。
ここまでくると、ほとんどの人が脱落する。というか今のところ、私の知る限りでは全員脱落。いや、脱落ってなんだよって話なんですけどね。
朝起きて八時半に保育園に送り届けるまでは育児、家に戻って十七時半までは仕事、保育園に迎えに行って子どもが寝る二十一時半までは育児。小説に割ける時間は二十一時半から零時の二時間半だけなのだ。それだって夜泣きや仕事の締め切りで毎日は取れない。私にだって、育児にも小説にも仕事にもなんの関係もない韓国ドラマを見る時間が必要だ。人間だもの。
そして完成してしまうのだ。完全無欠な言い訳が。つまり、フルタイムの仕事をし、幼児を複数育てている状態で、小説家になった人はいない。私ってばむちゃくちゃハンデ背負ってるやん、と言いたい。言える。言えてしまう。ていうか割と事実。小説が書けないとき、寝落ちしてしまったとき、もっと言うと、文学賞に落ちたとき、私は私の力不足とか根性不足とか以外にも、逃げてしまえるのだ。やっぱり今じゃないのかなあって。
だから、じつは最近待ち望んでいることがある。フルタイムの仕事をし、幼児を複数育てている状態で、小説家になった人にインタビューしてみたい。そんで、ガツンとやられてみたい。
子どもを育てることは、私にとっては素晴らしいことで、悲願だった。「小説家になるか母親になるか」どっちかひとつ選べと神様に言われたら、「母親」と即答する。なんなら、体さえ許せばもう一人産みたいくらいだ。だから「育児さえなければ」と思うことはない。
でも、「あの人が小説家になれるのは、育児(と仕事)をしてないからだ」とは思ってしまう。それから、「今じゃないのかな、もっと子育ての手が離れたときに再挑戦しようかな」というのも思ってしまう。
いやぁね。
言い訳の必要がないくらい、「書きたい」があるのが正しいんだろうな。
著=清繭子/『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)
Information
おすすめ読みもの(PR)
プレゼント応募
「「アルコス テーブルナイフ」」
ハード系パンも完熟トマトもスパッ! 切れ味抜群の万能テーブルナイフ
メルマガ登録で毎週プレゼント情報が届く!
新規会員登録する
読みものランキング
読みものランキングをもっと見る
レシピランキング
レシピランキングをもっと見る
レタスクラブ最新号
レタスクラブ最新号詳細