「まず『出来る』という。方法はそれから考える」円谷英二 天才の習慣(9)【連載】
まず「出来る」という。方法はそれから考える
【円谷英二 Eiji Tsuburaya】
(1901 ~1970 )映画の特殊撮影監督。福島県生まれ。本名は円谷(つむらや) 英一。1935年にJ・Oスタジオに入社し、日独合作映画『新しき土』を担当し、日本初のスクリーンプロセス(バックグラウンド・プロジェクション)の技術を完成。37 年、東宝に入社。54年、『ゴジラ』の特殊効果撮影で世界的な評価を得る。63年、円谷プロを設立、『ウルトラQ』『ウルトラマン』など特撮テレビ映画シリーズを製作・放映し、「怪獣ブーム」を巻き起こすとともに、日本の特撮技術の高さを世界に知らしめた。
◆この天才の名言◆
「飛行機ってあんな単純には飛ばないぞ。」
スピルバーグや宮崎駿も認めた“ 特撮の神様”の金言
ゴジラ、ウルトラマンなど、いまもなお日本や世界で親しまれているキャラクターを生み出した“特撮の神様”円谷英二。
現代映画の巨匠であるスティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、ジェームズ・キャメロン、宮崎駿氏なども円谷の製作した作品群に影響されているようです。このことから考えると、円谷英二はまさに「特撮の天才」といえます。
日本に爆発的な「怪獣ブーム」をもたらした張本人・円谷英二は、実は遅咲き。『ゴジラ』がヒットした時、彼はすでに53歳でした。円谷はそんな苦労人ですから、彼の言葉にはとても重みがあります。
彼の残した言葉で印象的なのが、「まず『出来る』という。方法はそれから考える」というもの。
ある打ち合わせの時、製作するのが難しそうなシーンを「やれるよ」と答えた円谷に、あとでスタッフが「本当に出来るんですか?」と尋ねると、円谷はこう答えたそうです。「まず、出来るっていうんだよ。方法はそれから考えるのさ」
たとえば、『ゴジラ』を製作する時に円谷に与えられた時間はわずか3か月しかありませんでした。しかし円谷は断ることをせず、合成ワークやミニチュアワークなど、それまでの30数年の映画人生で培(つちか)ってきた技を総動員し、見事映画を完成させました。
福島生まれで、訛(なま)っていた円谷は、当時の東京で馬鹿にされましたが、そんな時でも彼は「テヘラテヘラ」と笑ってやり過ごしました。普段はそんな飄々(ひょうひょう)とした態度を見せていたので、彼が独立してプロダクションを興した時は業界に激震が走ったそうです。
[参考]『円谷英二の言葉 ゴジラとウルトラマンを作った男の173 の金言』右田昌万(文藝春秋)
【プラスα】円谷英二が開発した数々の特撮技術
「 ない物はつくればいい」というのも円谷英二独特の考え方。実は、現代の街角にある証明写真ボックスの原型を世界ではじめてつくったのは円谷で、その他、撮影用クレーン、フェイドイン・アウト、ブルーバック撮影、ミニチュア特撮、多重合成機なども、すべて円谷のアイディアがもとになってつくられたものです。
Information
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著者:教養総研(きょういくそうけん)
レアな古説、珍説の類から、広く知られるライフハックまで、「教養」に関わるトピックスをわかりやすく世に発信する小集団。これまでに世に出た優れた教養や自己啓発書を日々研究している。
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