武士を真似て“力士”に? 禁止令を乗り越え「相撲」が国技となった理由

礼節と品格を重んじて手にした“相撲解禁”


長い歴史を誇り、数々の名力士が誕生してきた“相撲”。

今年5月放送の「ネーミングバラエティ 日本人のおなまえっ!」(NHK)では、相撲が「国技」と呼ばれるようになった理由を探りました。

「横綱」という階級は存在していなかった!


番組では現在の相撲の原型ができたとされる江戸時代に注目。

当時はまだ土俵が存在せず、道ばたで庶民や浪人が「つじ相撲」を行なっていました。

しかしつじ相撲は激しい投げ技もあり、死人まで出る事態に。

相撲取りが治安を乱した結果、幕府から相撲を禁止されてしまいます。

相撲が禁止された一方、相撲取りが「武士」を真似て名乗ったのが「力士」という名称。

礼節と品格を重んじたことで相撲興行が解禁され、土俵上で勝敗を決める「押し相撲」が誕生しました。

当時の階級は「大関」までだったものの、強いものが綱を巻いて土俵入りする“称号”として横綱が誕生。

まわしに綱を巻いた横綱の姿は大好評で、相撲人気が加速すると徳川家斉将軍の前でも「上覧相撲」を実施します。

明治時代になると“裸体禁止”などの条例で危機を迎えますが、明治天皇のために「天覧相撲」を催して相撲人気を取り戻していくことに。

また“相撲の常設館”の設置が決まると、命名責任者の尾車文五郎は小説家の筆による開館の挨拶文に注目。

一般に馴染みのない「國技(国技)」という言葉を気に入り、歴史を持つ相撲こそ国技に相応しいと判断して「国技館」と命名しました。

国技を規定する法令はありませんが、相撲は今日に至るまで長い時間をかけながら“国技”として定着。

相撲が辿ってきた歴史に、視聴者からは「幕府から禁止されるほどだったのに、そこから国技として親しまれるってすごいな…」「横綱の起源がまわしにつけた綱からきていたなんて初めて知った」「相撲って国技として決まってるわけじゃなかったんだ!」といった反響が寄せられています。

織田信長も観戦していた!?


【写真】国技館のストリートビューに映っているのは…


現在の相撲の原型が誕生したのは江戸時代。

では、そもそも相撲の“起源”はいつの時代なのでしょうか。

「日本相撲協会」公式サイトによると、日本における相撲の起源は「古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられる」と説明がありました。

また鎌倉時代から戦国時代にかけての相撲は、武士にとっての戦闘訓練。

織田信長は各地から力士を集めて上覧相撲を催し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えたという話も。

日本相撲協会公式サイトでは、国技館についても詳細を掲載。

たとえば国技館の収容人数は「1万1098人」で、独自の放送ができる館内FM放送設備や、約200坪からなる多目的スペースが備えられています。

ちなみにサイト内でも公開されている国技館正面のストリートビューでは、関取衆70人が手をかざしてお出迎え。

土俵の上とはひと味違った雰囲気を楽しめるのではないでしょうか。

長い歴史を持つ相撲界で、これからどのような力士が名を馳せるのか楽しみですね。

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