ギャンブル、借金、失踪を重ねる毒父…からの家族再生を描いた【おちおち死ねない】たむらあやこさんだから語れる「家族と生きる意味」

#くらし   
父に本気で死んで欲しいとすら思っていた…

ギャンブルによる借金を重ね、何度も失踪する父に翻弄され、常に極貧の日々。ようやく自立に向けて就職した矢先、10万人にひとりと言われる難病を発症、不運の連鎖の先で得たものは…? 通常では想像しがたい壮絶な体験を赤裸々に描き、話題を呼んだコミックエッセイ『おちおち死ねない~借金だらけの家で難病になった私のライフハック~』
その著者のたむらあやこさんに、幼少時の思い出や闘病中の家族の変化などをお聞きしました。生きることや家族の意味など、ひとつひとつの言葉が心に響きます。

自分が死んだらこの家は終わる! 小学校からすでに感じていた家庭への違和感


――まず、タイトルのインパクトがすごいです…! どのような思いで付けられたのですか? 表紙のデザインも斬新ですよね。

『おちおち死ねない~借金だらけの家で難病になった私のライフハック~』


「ありがとうございます! タイトルは中学生の時からの友人でもある、諸事情を知っている編集担当者さんに考えていただきました。自分が死んだらこの家は立ち行かなくなる、おちおち死んでいられない…という思いを込めています。
表紙もその担当者さんや、ギラン・バレー症候群の闘病記を描いたデビュー作の『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』の時からお世話になってるデザイナーさんに助けていただきました。
日本画のパロディだったのですが、『ふんばれ~』が病苦の話ならば、『おちおち~』は生活苦の話ということで少しつながっているところもあり、引き続き、こちらも日本画のパロディにしたんです」

――幼少のころから絵が好きで、小学校の時には全北海道の絵画コンクールで入賞するほどだったそうですが、どんな子供でしたか? 編集担当者からも『中学時代から画力はずば抜けていた』と聞いています。

「『おちおち~』の中では、明るめの子供に描いてましたが、実際はとてもおとなしくて本を読んでいるか、絵を描いているか、というような子供でした。学校でもあまり目立つほうではなかったです」

――家では、お父様の借金の問題で夫婦げんかが絶えなかったり、大事にしていたぬいぐるみを捨てられてしまったり、アルバイト代を全て使い込まれていたり、でも、虐待などがあるわけでもなく。自分の家は「ちょっと違うな」と感じたりしていましたか?

「小学生の高学年くらいから、自分の家がなんとなくおかしいことを感じていたと思います。友人の家に遊びに行くと、いつもお母さんが家にいて優しく『おかえり』と言ってくれたり、おやつが出たり、ごはんが出たり、お小遣いをもらっていたりと、そういう『普通のこと』がうらやましいな、と少し感じていました」

ギャンブル狂の父に振り回され借金まみれに


難病のギラン・バレー症候群を発症。ギャンブルをすっぱりやめ、身を粉にして働いてくれた父だったが…


――ご両親の反対で行きたかった美術大学の進学も、なりたかった理学療法士の夢もあきらめ、ようやく准看護士の資格を取って働き始めて2年経ったころ、ギラン・バレー症候群だと診断されます。この時、ご家族の様子はどんなでしたか?

「私は准看護士として少し勉強していたので、『あぁ、その病気か』くらいでしたが、両親は聞いたことのない怖そうな病名に恐れ、うろたえたそうです。私の病名が判明して、つらい症状が続いていた時、父は母や親戚から『病気になったのは父が苦労をかけたせいだ』とひどく責められたらしいんですね」

――闘病中、お父様は『たむらさんが死ぬかと思った』と言って泣き、必死に看病され、とても頼もしく描かれています。かつてギャンブル漬けだったお父様がそんなにも変わったのは、そんなきっかけがあったのですね。

ギャンブルはやってない?

難病を発症したことで、家族再生の道が…


「母や親戚から責められた時もかなり精神的にこたえていたと思いますが、小さい時も私とよく遊んでくれたり、もともと優しい人だったので、『こうしていられない』と目が覚めたのではないでしょうか」

――かつてはお母様が包丁を持ち出すほど家族の関係が険悪な時もあったようですが、たむらさんの闘病中、関係も少し変わりましたよね? ご著書では、家族が仲よく協力し合う、心強い関係に変わったようにも見えます。

「父は暴力や浮気などは一切なくて、唯一の欠点が借金と、それに伴って嘘をつくことだったので、お金の問題がなくなると共に家族の関係もよくなりました。闘病も大変で、家族一丸とならないととても太刀打ちできるものではなかったということもあり、無我夢中でしたが、気づけば心強い関係になっていました。ただし、まだすっかりは信用しきれていませんが…」

――そんな時、お父様が治療費のために、昼も夜も身を粉にして働いていることをお母様から聞いたんですよね?

「信じられませんでした…。いつまでもつか、と最初は思ってましたが、『本当に改心してくれた』といううれしい気持ちがあった半面、『またいつか元に戻るのでは?』という気持ちもあり、2つの気持ちで父の姿を見ていました」

 


再び借金取り立ての日々が到来。マイナス7度、電気も止められて凍え震える生活の中、絵で食べて行くことを決意!


――そして、その嫌な予感が見事に的中してしまいました。お父様がタクシー運転手に転職した後、借金の督促状が次々と届くように…。また家庭内が殺伐としてしまいましたね。

「足の先から血が吸い取られるような、身の置き場がないくらいの不安でいっぱいになりました。『あぁ、またあの生活が始まるのか…!?』という、恐怖と怒り、それと不安を感じました」

 


――連日、借金の取り立てが来て、生活があっという間に苦しくなった時、「絵で生活しよう」と決意されました。自主練習を続け、漫画が描けるようになるまで病気の発症から約10年の歳月を費やすなんて、ふつうの人にはできないと思うんです。まだ体も万全でない中、長年努力をされたと思うのですが、そのモチベーションはどこにあったのでしょうか?

「いちばんは『絵を描く事が大好き』という言葉では収まらないくらい、絵を描くことが私には重要なことだったんです。とにかく絵が描きたくて描きたくて眠れなかったので、眠るためにも早く描かなければと思っていました。
あと、ずっと絵を描くことを人生の節々で諦めていたので、『一度、自分の力量を知りたい。とことんまでやってみたい』とも思っていたので、在宅の仕事じゃないと体が持たなくなったなら、これをやってみようと決意したんです」

 


アテにならない親と、友人たちの言葉がエネルギーに。家族は痛みを分ける「生活共同体」


――病気、借金、貧乏と次々と困難が続く中、たむらさんは生きることをあきらめずに、前に進んでいきました。何がその原動力となったのでしょう?

「生きていかなくてはならないとわかった以上、親があまりアテにならなかったということと、親や自分の老後も考えて、『自分がどうにかして働かないと厳しいぞ』と強い危機感があったことが、いま思うと、一番の原動力になっていたのではと思います。
病気になる前から、父の借金などでいろいろ大変だったので、困難に対する耐性も少しは備わっていたのでは、とも考えています。
それから、特に心に残っているのは、闘病中に出会った方や友人の言葉。転院した病院でお会いした進行性の難病の方に言われた『できなきゃできないで何とかなるんだ』という言葉と、友人に何度も言われた『漫画を描け』という言葉に、今も支えられています」

 


――借金の問題も解決し、漫画家としても仕事ができるようになり、穏やかな生活を手に入れた今、田村さんにとって「家族」や「生きること」の意味は何だと思いますか?

「家族の意味…。いろいろな角度があると思いますが、私は『生活共同体』だと思います。生きること自体には特に意味はないとも思っていますが、生きることの意味が『いかに心身の苦痛が少なく生きていくか』ということであるとするならば、それに影響するいちばん身近なものが家族であると思います。
ありがたいことに、昔から周囲の愛情を感じて生きてきたので、私が大事にされたように、私も、家族や周りの人達を大事にしたいと心がけています」

 


――家族のことで悩んでいる読者も多くいると思います。最後に、そんな方々へのメッセージをお願いします! そして、今後の活動についても教えてください。

「もっと大変な家庭だったという方のお話も聞きますし、同じような境遇だったという方からも、お声をかけていただくようになりました。私の漫画をひとつの体験談としてちょっとでも共感していただいて、私の発信した情報が少しでもお役に立てているならうれしいしいです。
これからも、細々とでもいいので絵で仕事ができて、親や支えてくれた皆様に少しでも恩返しができたら…と思っています。長いページの漫画も描けるようになりたいですね」


数々の困難を乗り越え、「『それこそが、病気が私にくれたチャンスだった』と今なら思える」という、たむらさん。ユーモアたっぷりに描かれた家族のストーリーは、多くの読者に勇気や希望を与えてくれます。日々を生き抜くことは本当に大変ですが、この本をきっかけに生きることや家族の意味を考えてみませんか?



取材・文=岡田知子(BLOOM)

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