SNSの向こうの優しい他人/気がつけば地獄(4)
ここまでのあらすじ
紗衣は、夫の祐一に内緒で美顔器を購入したが、宅配便のミスで誤配達されてしまう。この誤配達を企んだのは、祐一と付き合っている夏希。夏希はSNSで紗衣と繋がり、こっそり行動をチェックしていた。紗衣は、誤配達先である603号室を訪ねるが、その住人はすでに引っ越していた。
【第4回 優しい他人】
『昨夜の彼ったら、なんだかスゴくて!今日は朝から筋肉痛w 誕生日に何食べたいってきかれたから、パークハイアットのニューヨークグリルをおねだりしちゃった☆』
通勤電車の中で打ち込んで、ツイッターに投稿する。二分も経たずに「いいね」がついたけど、何を書いてもすぐつけてくるオヤジだったから、嬉しくはない。
本当のところ昨夜の祐くんは、いつも通り仕事帰りにやってきて、わたしが簡単に作ったご飯を食べて、セックスをして、シャワーを浴びて、テレビのニュースを見て、帰って行った。誕生日にニューヨークグリルに行きたいな、と甘えたら、「都心は駄目って言ってるだろ、どこで誰に会うかわからないんだから」
と冷たく返された。
奥さんとは、ああいうところでデートしたこともあるのかな。祐くんは見栄っ張りだから、結婚前にはあったかもしれない。想像したら、涙が溢れてきた。なんでわたしばっかりが泣かなきゃならないんだろう。祐くんは気持ちいい思いをしているだけだし、奥さんは何も知らずに呑気に子育てをしている。こんなの、フェアじゃない。
ハンカチで目頭を拭ってからスマホの画面を見たら、さらに一つ「いいね」がついた。見たらサニーだったので、とたんに愉快になって、彼女のツイートをチェックする。
『どうしよう。誤配達でわたしの美顔器を受け取ったお家が、引っ越ししちゃった……』
『宅配業者は、荷物の受け取りサインがあるから責任とれないって。向こうもサインしちゃったんだ……わたしもしたからお互いさまだけど』
『マンションの管理会社に美顔器を持っていっちゃった人の連絡先を訊いたけど、個人情報だからって、何も教えてくれない。内緒の買い物だから、夫に相談もできない〜(泣)』
読んでいる途中で思わず「えっ」と声が出て、前に座っているサラリーマンに睨まれてしまった。あの603号室のひょろっとした青白い男が、荷物を返さずに引っ越すなんて、想像もしていなかった。なんてことをしてくれたんだろう。おかげで会社に誤配達がバレちゃったじゃないか。今日、上司からきっと叱られる。それに、奥さんは誤配達したのがわたしなのを覚えているだろうから、顔を合わせづらい。いっそ辞めちゃおうか。彼女とはツイッターで繋がれたから、別に辞めたっていい。
それにしても、美顔器が祐くんに内緒の買い物だったのは、ラッキーだった。もしそうでなかったら、奥さんはすぐ祐くんに相談しただろうし、そしたら祐くんがうちの会社に乗り込んできて「担当の配達員を出せ」なんてことになって、わたしのことがばれて、何もかもおしまいだった。
だけど大丈夫かな。奥さん、このままずっと祐くんに話さないでいてくれるかな。早く解決してもらわないと、心配だ。
わたしは考えを巡らせた。そして名案を思いつき、サニーのツイートにリプライをつけた。
『サニーさん、お手元の荷物に、送り状が貼ってありますよね? そこに書いてある送り主に訊ねれば、美顔器を持ってっちゃった人の居場所、わかるんじゃないですか?』
* * *
そうか、なぜ思いつかなかったのだろう。
晴哉を幼稚園へ送って帰ってきたあと、わたしはクローゼットの吊戸棚の奥から、隠しておいた箱を出した。蓋を開けると、剥がした送り状が畳んで入っている。その下の、マシュマロのような緩衝材に埋まった箱には、手をつけていない。
送り状の皺を伸ばす。ナナの言う通り、そこには送り主の住所と電話番号が明記されていた。福岡県の、(株)田中商事とある。
早速スマホで電話をかける。呼び出し音はするが、なかなか出ない。もう切ろうかと思ったとき「はい」と、つっけんどんな男の声が出た。
「あの、田中商事さんでしょうか」
しばらくの沈黙のあと、
「誰だ、お前?」
凄むような声だった。
「すみません、間違えました」
早口で言って、電話を切る。見直してみたが、番号に間違いはない。首を傾げていると、スマホの着信音が鳴った。画面には、今かけた番号が表示されている。先ほど非通知でかけなかったことを悔やみつつ、おそるおそる通話ボタンを押した。
「はい」
「田中商事です。先程は失礼しました。どんなご用件でしょう」
さっきの男なのか、それとも別人なのかはわからないが、声色は明らかに丁寧なものに変わっていた。
「あの、そちらから、株式会社ロクマルサン宛に送られた荷物が、間違ってうちに届いているんですが」
少しの沈黙があった。
「その箱、開封されましたか」
ゾクッとさせる声だった。
「いいえ」
外箱は開けてしまったが、中の箱はそのままなのだから、嘘ではない。
「すぐに引き取りに伺います。おたくのご住所は、これで間違いないですね。東京都世田谷区……」
「あの、そうではなくて、お尋ねしたいのは、その株式会社ロクマルサンの方の……」
胸がどくどくと波打っていた。
「明日はご在宅ですかね」
「その住所は、うちとは全然違うんです。宅配業者が配達先を間違えて」
ちっと舌打ちが聞こえた。動悸がさらに高まる。誰だか知らないが、とにかく関わり合いたくない。
「では、おたくのご住所を教えてください」
「こちらから送り返しますので」
毅然と言ったつもりが、震え声になっていた。
「いいんですよ、ちょうど上京の予定がありますから」
丁寧だが、威圧的だった。
「困ります。送り返しますので」
それだけ言うと、わたしは電話を切り、田中商事の番号を着信拒否にした。603号室の男の情報を何も得られなかったばかりか、雲行きが怪しくなってきて、頭は不安でいっぱいだった。
祐一が帰ってきたら、美顔器のことは伏せた上で、荷物のことを相談しようと決めた。603号室の男に持っていかれた品物は何かと訊かれたら、安い化粧品だと嘘をつく。祐一は、すぐ宅配業者に掛け合ってくれるだろう。あの業者も、マンションの管理会社も、田中商事の男も、わたしが女だから舐めてかかっているのだ。男がクレームを入れれば、きっと動く。そうなれば話は早いはずだ。あとはわたしが引き継ぎ、こっそり美顔器を取り戻せばいい。
ところがその晩も、祐一はわたしが起きているうちには帰らず、翌朝も忙しなく出勤してしまった。そして日中、非通知の番号から何度も電話がかかってきた。わたしは全て無視し、非通知番号の着信も拒否するようスマホを設定した。それからその指で、ツイッターを開いた。
心細くてたまらなかった。今、わたしの話を真剣にきいてくれるのは、ここで最近よくやりとりするようになった、彼女だけだ。
『ナナちゃんありがとう。でも送り主に電話をしたら、ちょっと怖い感じで。夫に相談しようと思ってる』
昨日くれた親切なアドバイスにそうリプライすると、瞬時にダイレクトメッセージが来た。他の人には見られない、メッセージ機能だ。
『サニーさん大丈夫? 何があったの? 相談に乗るよ!』
嬉しくて、スマホにすがりつきたいような気持ちになった。そして気がつけば、わたしは夫にするはずだった相談を、ナナにしていた。
著=岡部えつ/『気がつけば地獄』(KADOKAWA)
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