綺麗になりたかっただけなのに/気がつけば地獄(5)

#くらし 
前は幸せだったのに…

気がつけば地獄 5話

SNS上で仲良くなった相手は、夫の愛人でした。

パート勤めの主婦・紗衣の元にやってきた荷物。それは夫に内緒で購入した美顔器と入れ替わって届いてしまったものだった。その誤配達を企んだのは夫の愛人である夏希。夏希はその出来事をきっかけにSNS上で紗衣を発見し、身元を隠して交流を深め…。

正体を隠しながら距離を縮めていく2人の女性、そして変わりゆく夫婦関係…衝撃展開が繰り広げられるサスペンス『気がつけば地獄』から、10話までを連載でお送りします。今回は第5回です。

※本作品は岡部えつ著の書籍『気がつけば地獄』から一部抜粋・編集した無料試し読み連載です

 


ここまでのあらすじ

紗衣は、夫の祐一に内緒で美顔器を購入したが、祐一と付き合っている夏希の企みで誤配達されてしまう。夏希は紗衣のSNSを突き止め、こっそり行動をチェックしていたのだ。紗衣は配達物の交換を求めて誤配達先を訪ねるが、その住人はすでに引っ越してしまっていた。やむなく荷物の送り主に電話をかけた紗衣。すると出たのは「田中商事」を名乗る威圧的な男性で、執拗に荷物の引き取りを迫ってきたのだった。

【第5回 疑惑と信頼】

『ナナちゃん、ありがとう。言われたように、送り状にあった会社の電話番号にかけてみたの。そしたら、怖い男の人の声で、荷物を引き取りに行くって言われて。送り返しますって言っても、こっちから行くから住所を教えろって。もちろん何も教えずに電話を切って、着信拒否にしちゃったんだけど……。あちらが荷物を送った先は、うちと同じマンションだから、なんだか怖くて』

 危ない危ない、このままじゃ奥さん、祐くんに喋っちゃう。わたしはすぐに返事を送った。

『それは怖いですね。でも、名前も部屋番号も教えてないなら大丈夫だと思います。サニーさんを特定できるはずないもの。その怪しい人は荷物を引き取りたいだけだろうから、早く送り返してしまえば?』

『そうだよね。送り返すとき、差出人のところに嘘の住所と名前を書いても大丈夫だと思う?』

 ヤバそうな相手に送るんだから、そうしなきゃだめに決まってるじゃない、と考えたところでハッとした。

『サニーさん、その会社のこと、調べましたか?』

『何を?』

『住所や電話番号をググるとか、グーグルストリートビューでどんな様子の会社なのか見てみるとか』

『いいえ、何もしてない』

 思わず舌打ちをする。そんなことも思いつかないなんて、どんくさ過ぎる。祐くんは、こんな人のどこが好きなんだろう。

『相手も嘘を書いてるかもしれないから、調べてみてください』

『なるほど、今調べてみるね』

 待っている間、いろんな想像をした。奥さんは「会社」と言っていたけれど、どうも普通の会社ではなさそうだ。もしも本当にヤバい相手だったとしたら、荷物の中身はいったい何なのだろう。麻薬とか麻薬とか麻薬とか……それしか思い浮かばない自分の頭をゲンコツで殴りたくなる。Netflixの観過ぎだ。

 ピロロンとDM着信の音が鳴る。

『ナナちゃんすごい。本当に、嘘だらけだった。田中商事っていう会社名はググったら馬鹿みたいにたくさん出てきたけど、その住所の会社はなくて、電話は携帯番号なんだけど、何もヒットしなかった。グーグルマップで調べたら、その住所、サッカーグラウンドだった……』

『やっぱり! だから取りに行くってしつこかったんですね』

『警察に届けるべきかな』

 わわ、とんでもない! そんなことをされたら、うちの会社も調べられて、祐くんにも全部ばれちゃう。

『サニーさん、落ち着いて。何か被害にあったわけじゃないから、警察は取り合ってくれないですよ。それに、旦那さんにばれてしまうの、まずいんでしょ?』

『そうなんだけど……。でも、ことが大きくなってからばれるより、今話しておいた方がいい気がして』

 だめ、だめ、だめ、絶対だめ。

 スマホを握りしめ、必死で文章を考えて打った。打ち終えて送信したのと同時に、祐くんから「今夜行く」とメールが来た。

 * * *

 晴哉を寝かしつけたあと、そのままベッドでスマホを開いた。昨夜から、ナナの過去のツイートをさかのぼって読んでいる。

 二十代、都心に勤める会社員、金融関係に勤める恋人がいて、最近婚約したばかり。ツイートは、その婚約者とののろけ話が多い。たまに画像もアップしている。代官山や青山のカフェで、スイーツやスパークリングワインを楽しんでいる様子だ。顔は隠していてわからないが、着ている服はワンピースやブラウスとスカートの組み合わせが多く、コンサバティブでフェミニンな装いが好みなのがわかる。いずれもデート中のもので、いちゃいちゃした様子のツイートがついているが、相手の姿が写ったものは上げていない。慎重に気を使っているのだろう。

 以前には、確かに無防備にプライベートを晒して問題になったり、事件に繋がったりしたこともあったが、最近はみんなリテラシーが向上して、こうして上手にSNSを利用している。だから自分もそうやって楽しみたいと祐一に言っても、彼はわたしを信用してくれない。

 指はスクロールを続ける。一目惚れして買ったヒールが足に合わず、血まみれで打ち合わせに行った話、セクハラ上司への愚痴、金曜朝のウキウキと日曜夕方の憂鬱、デートのあとの幸福感と寂しさ。

 ナナの言葉に、結婚前の自分を重ねる。服も、似たタイプのものをよく着ていた。祐一の好みだったからだ。しかしわたしが本当に好きだったのは、どちらかというとモード系で、スカートよりもパンツ派だった。今は、コンサバもモードもない。服を選ぶ基準は、ママ友の中で浮かないこと。服だけでなく、行動も言葉も全て。それが基本だ。

 思えばわたしは、結婚でたくさんの変化を強いられた。なのに祐一は、父親になったということ以外何も変わっていない。引っかかるのはそのことではなく、そういうことに彼が全く気づいていないことだ。望んで結婚をして、望んで子供を作り、望んで家庭を育んでいるのに、なぜハッピーじゃないのかというと、そこにいきつく。

 もっと二人で話をするべきだ。わかっているのに、会話ができない。独身の頃は、互いに仕事の悩みや愚痴で共感し合えたが、今は彼が仕事のこと、わたしが晴哉の幼稚園や習い事のことばかりで、どちらも一方通行だ。パートの苦労話をしたときには「いいなあ、気楽な仕事で」と返された。

 滲んできた涙を指先で拭うと、ざらっとした感触がして飛び起きる。風呂のあと、晴哉の世話が先で化粧水もつけていなかった。だるい足を引きずって洗面所へ行き、鏡に映った冴えない顔を見て、美顔器のことを思い出す。

「ただ、綺麗になりたかったの」

 そう言ったら、祐一は何かに気づいて理解してくれるだろうか。いいや、そんなことは想像もできない。前に一度、フェイスブックのアカウントを作ろうかなと言ったときに見せたような、汚物を見るような目でわたしを見て「冗談だろ」と言って苦笑いするだけだろう。「お前、変わったね」とも言うかもしれない。そうだ、変わった。あなたが変わらなくて済んだ分、わたしが変わらなきゃならなかったから。

 化粧水とクリームを顔と手にすり込んでから、寝室に戻る。音を立てないようにクローゼットを開け、手を伸ばして例の箱に触れる。

 ナナに諭され、この件は放っておいている。彼女は、田中商事が本当にヤバい人達だったら、次はわたしでなく宅配業者を脅すだろうと言った。それに、そもそも誤配達したのは宅配業者なのだから、警察沙汰にするかどうかは彼らが決めることで、わたしがそんな危険を冒す必要はないとも。言われてみれば、確かにそうだった。どすの利いた声で凄まれて、思考が止まってしまっていた。そして実際、あれから一日以上経っても、何も起きていない。

 どんな人なんだろう。たまたまツイッターで出会っただけなのに、こんなに親身になって話を聞いてくれ、冷静なアドバイスまでくれて、若いのにしっかりしている。のろけ話のツイートはちょっと鼻につくが、DMの文章を読めば、頭のいい大人だということがわかる。婚約者も、きっと素敵な人だろう。仕事ができて、家事もできて、人当たりがよく、誠実に彼女を愛していて。

「わたしだって、そうだったのにな」

 呟いたら、涙がぽたぽたと落ちてきた。

著=岡部えつ/『気がつけば地獄』(KADOKAWA)


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