私を探している…? 脅迫状のあとの空き巣騒ぎ/気がつけば地獄(9)

#くらし   
マンションを気にする素振りを見せる怪しい男

気がつけば地獄 9話

SNS上で仲良くなった相手は、夫の愛人でした。

パート勤めの主婦・紗衣の元にやってきた荷物。それは夫に内緒で購入した美顔器と入れ替わって届いてしまったものだった。その誤配達を企んだのは夫の愛人である夏希。夏希はその出来事をきっかけにSNS上で紗衣を発見し、身元を隠して交流を深め…。

正体を隠しながら距離を縮めていく2人の女性、そして変わりゆく夫婦関係…衝撃展開が繰り広げられるサスペンス『気がつけば地獄』から、10話までを連載でお送りします。今回は第9回です。

※本作品は岡部えつ著の書籍『気がつけば地獄』から一部抜粋・編集した無料試し読み連載です

 


ここまでのあらすじ

夫に内緒で美顔器を購入した紗衣。だが美顔器は届かず、別の住所宛の荷物が誤って届いてしまった。これは、夫・祐一と恋仲にある、宅配会社勤務の夏希の企み。紗衣は、届いた荷物の送り主・田中商事に連絡するが、威圧的な態度で荷物の返却を迫られてしまう。想定外のその状況を、紗衣のSNSで知った夏希は、身元を伏せてDMで相談に乗ることに。田中商事への対応策から互いのパートナー(祐一)についてまで、DMで語り合う。その数日後、夏希は、紗衣のマンション前にパトカーが停まっているのを発見する。

【第9回 家族の輪郭】

 パトランプがくるくる回る明かりの中で、野次馬たちが何か口々に言っているけど、聞き取れない。膝の震えはやっとおさまってきたのに、そちらに近づいて何が起きているのか知りたい気持ちと、祐くんの奥さんに出くわしてしまわないうちに立ち去りたい気持ちが、胸の中でぶつかって喧嘩して動けない。

 鍼灸院の看板に隠れるようにして立ったまま、スマホでツイッターを確認してみた。奥さんは、何もつぶやいていなかった。スマホを閉じ、マンションを見上げて、九階建ての白い壁にずらっと並んでいる窓に目を走らせる。三階の左端から二番目が、祐くんの家だ。ベランダの柵越しに見える窓のカーテンは、部屋の明かりを滲ませている。その柔らかく温かい感じが憎らしくて、つい、奥さんがあのカーテンの向こうで青ざめておろおろしていたらいいのに、と願ってしまう。それが夫婦の亀裂をさらに広げて、割って崩して粉々にしてしまえばいいのに。

 しばらくすると、野次馬たちの群れがふわっと広がって、三々五々散り始めた。取り残されて目立ってしまう前に、その場を離れるしかない。

 来た道を戻りかけたとき、前を歩いていた男が一瞬立ち止まって、マンションの方を振り返った。すらっと背が高い、顔の小さな男だった。夕闇の中で、わたしと同じようにサングラスをかけている。祐くんの奥さんが言っていた「マンションをうろついていた変な二人連れの男」を思い出して、胸騒ぎがした。

 進行方向が一緒なので、そのまま彼の後を追うように歩いた。途中にある交差点の信号が赤になると、立ち止まった彼の左隣に並んだ。髪を直す振りをして、横顔を盗み見た。三十代後半くらいの、色の白い、顎のほっそりとした男だった。癖っ毛の前髪がかぶさったサングラスの横からは、伏し目がちに足元を見ている目が覗いていた。その先で、長い睫毛が細かく震えていた。

 根拠はないけれど、あんな脅迫状を書いて女性を脅すなんて真似をするようには見えなかった。こういう男が悪事を働くとしたら、コンピュータのハッキングとか、美術品詐欺とか、そういう荒っぽくない知的なものだ、絶対に。

 そんなことを考えている間に、信号が青に変わった。彼が、上着のポケットに突っ込んでいた左手を外に出した。反射的に、薬指を見てしまう。そこに結婚指輪がないのを確かめると、少しだけ胸が躍る。馬鹿みたいだけど、祐くんから無理やり心を離そうと必死だった頃に、ついてしまった癖だった。

 男は、足早に横断歩道を渡って行った。わたしはそれを見送りながら、わざとゆっくりと歩いた。歩きながら、祐くんの奥さんが、不安になるとすぐ祐くんに相談しようとすることを思い出して、慌ててスマホを開いた。早めに手を打っておくにこしたことはない。

『サニーさん、こんにちは。この間はアドバイスをありがとうございました。あれから気が楽になって、内緒のツイッターを楽しんでいます。サニーさんの方は、その後いかがですか? あの気持ち悪い手紙のあと、問題ないですか? なんだか気になっちゃって』

 送信したとき、駅に着いた。人が多いエスカレーターと階段を避けて、少し離れたエレベーターを使って改札階へ出たとき、返信が来た。

『ナナちゃん、すごいタイミング! 今日、大変なことが起きたの』

『何があったんですか!?』

『マンションに、空き巣が入ったの。うちじゃないから、心配しないでね。でも、ついこの間脅迫状のことがあったばっかりだから、一連のことと関係があるんじゃないかって思うのよ』

 空き巣。さっきの男の、白い横顔を思い出す。あれは、空き巣という顔じゃない。

『そうだったんですか! とりあえず、サニーさんに被害がなくて、よかったです。でも、不安はありますよね、わかります』

『ありがとう。田中商事が、うちを特定できないから、適当に他の家に入って、わたしを脅してきているんじゃないかとか、考えちゃって』

『そういう可能性もあるかもしれませんけど、でも、犯人が田中商事だろうと、そうでなかろうと、一度こんなことがあれば、警察もパトロールを強化するでしょうし、マンションのセキュリティも厳しくなるでしょうから、前より安心なのではないでしょうか』

『うん、そうだよね。いつも励ましてくれて、ありがとう!』

『いいえ。わたしこそ、彼のことでアドバイスいただいて、本当に助かったので、こんなことでお返しできたなら、嬉しいです!』

『わたしにできるのはそのくらいのことだから、遠慮せずに、何でも相談してね』

 何でも? だったら、祐くんのこと、もっともっと相談してもいいの、奥さん?

 そう心で言いながら、到着した電車に乗り込んで吊り革につかまったら、正面の窓ガラスに、両頬の妙なところに影を作った、暗い女の顔が映っていた。

 * * *

 取り越し苦労で終わって欲しかったが、そうはいかなかった。事件の翌日、空き巣被害に遭ったのが、あの603号室だとわかったのだ。

 淡く輝くような微笑みでわたしを抱きとめたあの男が、わたしの美顔器を持ったまま引っ越してしまったあと、空いた部屋にはすでに新しい入居者が入っていた。何が盗まれたのか、あるいは物色されただけだったのかは知らないが、百戸弱あるマンションの中からそこだけが狙われたとなれば、関係ないはずがない。

 先日エントランスで見かけた怪しい二人組が、何かしらの方法でオートロックの扉を抜けてマンション内に入り、一軒一軒の前を、目をギラつかせて睨みつけながら通っていくのを想像し、震え上がった。

 それでももう、以前のようにおろおろとうろたえたりはしない。すぐに祐一に相談しようとも思わない。助けて欲しいときに頼りにできないことを、脅迫状のときに思い知って、それまで何があっても繋がっていると信じていた彼との間の糸が、ぷつっと切れてしまっていた。

 だからもう、彼を頼らない。そう決めてしまえば、自分で考え、自分で行動できた。元はそういう人間だったのだ。やっと、取り戻せた。

 思えば、何につけ祐一に頼ることは、放っておけば消えてしまいそうな家族の輪郭を、太いペンでなぞって上書きすることだった。家族の誕生日や季節の行事を、必ず家族一緒に祝うのと同じだ。うちはそれだけでは足りなかった。少なくとも、わたしには不安だった。だから、祐一がいなければ回らないという演出をして、安心を得ていたのだ。

 彼との間の糸は切れてしまったが、家族の輪郭を消すつもりはない。もちろん晴哉のためだ。とすると、これからは何で輪郭を描いていこう。今はまだわからないが、そのうちにきっと、見つかるだろう。

『サニーさん、それでは図々しく、また相談させてもらっていいですか? 実は彼、最近どこか冷たいような気がするんです。マリッジブルーってやつなのかな。それならわかるんですが、もしかしたら別の理由があるのではないかと、とっても不安なんです。この不安を、彼に直接ぶつけていいものかどうか、悩んでいます』

 読みかけていたDMに、目を戻す。恋人の浮気を疑っているナナを、安心させる言葉を探した。

著=岡部えつ/『気がつけば地獄』(KADOKAWA)


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