ときにヒヤリとする乱暴な言葉遣い。子どもの言葉と向き合うときに伝えたいこと/大人になってもできないことだらけです(4)

感情を正確に言葉にすることなんかできるのかな


僕たち大人も自分の思いや感情を普段からちゃんと言葉にしているだろうか。そう考えたら、できているときのほうが少ない気がする。

「仕事に行きたくなーい」ってよく言うけれど、みんなは言わないかもしれないけど僕は言うんだけど、本当に仕事に行きたくないかといえば実はそうではなく「もうちょっとゆっくり寝たーい」とか「のんびり映画観て過ごしたーい」とかだったりする。

「雑務がめんどくさーい」とか「あの上司と顔合わせたくなーい」とかかもしれないし、言葉にできなくてなんとなく言っているときだってきっとある。

その感情をそのまま言葉にするのって実は難しくって、複雑に絡み合った感情をなにか言葉にしたくて目の前のことや今行動に移すことをそのまま表現したりする。

自分の感情をうまく言葉にできないだけでなく、自分の感情を正確に理解すること自体もままならないときもある。

子どもに「あっちいって!」とか「きらい!」とか「死ね!」と理不尽に言われたときに、本当はチクッと傷ついているのに、どうしてか怒ってしまったり。

そもそも、感情を正確に言葉にすることなんかできるのかな。なんだかルンルンしている気持ちを「楽しい」という言葉にするから「楽しい」になる。そもそもルンルンってなんの音かわからないけれど、楽しいという言葉よりもルンルンのほうが伝わることもあるかもしれない。

もやもやしている気持ちを「悔しい」とか「むかつく」とかいう言葉にするから、その感情が形になる。

どの言葉を選ぶべきか、適切な言葉をまだ知らないから、その感情からまっすぐ「死ね」とか「きらい」という過激な言葉になるんじゃないか。

その「死ね」や「きらい」は、「悲しい」かもしれないし「寂しい」かも「痛い」かも「虚しい」かもしれないし、「もやもや」とか「いらいら」とかかもしれないし、この世界の言葉にはない感情なのかもしれない。

そんなときに、あなたはそんなことを言う子じゃないって言われたら、そんな思いを持つことはいけないことだって否定されてその思いに蓋をされたら、ぎゅーっと苦しくなる。

それはきっと大人も同じだ。

例えばなにかお願いごとをされたときにも、大人だから付き合ってあげないとって思わなくても、自分がそれをしたくないのなら断ってもいいのだ。

僕は仕事だから子どもにお願いされたらよほど無理なことじゃなければ断らないようにしているけれど、仕事じゃないならその断る理由が「疲れた」とか「めんどくさい」でも悪いことではないと思う。

ただ、そのときに「断られることも覚えないと」だとか「思い通りにいかないときの折り合いの付け方を学ぶ」とか、その子の育ちのためになりそうな理由を探しそうになるんだけれど、それは必要はない。

むしろ、「相手のため」という言い訳は本質を隠すし、本心でもない。

自分を守るために相手を引き合いに出す必要はない。相手のためではなく、自分のために自分を守ればいい。

「今は私が使っているから貸したくない」「疲れているから応えられない」ときちんと伝えればいい。「それはやめてね」「傷つくからね」そうやって伝えるだけでいいんだと思う。

それでその子のなにかが育つとか考えるのは少し傲慢なんだ。

意見の表明をして相手はそれを受け止めた。できる限り自分の本心に近い部分を伝えて、できる限り相手の本心に近い部分を受け取る努力をした。ただそのやりとりが人と人との関係なんだと思う。

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