勤務先に罵声電話。ある時は角材を振り回し…『母がしんどい』から10年。田房永子さんが語る「毒親」との現在

#くらし   
角材を振り回しながら追いかけてきた母

2012年3月に発行された田房永子さん著作の実話コミックエッセイ『母がしんどい』は、「毒親」という言葉を広く世に知らしめました。発行から10年以上経った今も、多くの読者から共感を得ています。著者の田房永子さんに、改めて『母がしんどい』に込めた思いや「毒親」「親ガチャ」などの言葉が一般化した現在の状況について、お話を伺いました。

「これを読め!」と親に対しての復讐のような気持ちが強かった

  『母がしんどい』より

――ご自身の親子関係について描こうと思ったのはなぜでしょうか? また、描いたことによる心境の変化などはありましたか?

田房永子さん:親との関係がしんどい時、「親を悪く思う自分はおかしいんじゃないか」「まちがっているんじゃないか」という自分への疑いで苦しかったです。そんな頃、ネットや本で同じ境遇の人たちの体験談を読むことで「私だけじゃないんだ」と本当に救われました。そして自分の体験も読んでもらいたいと思い描き始め、描き終えるのに4年かかりました。
描き始めた頃は「これを読め!」と親に対しての復讐みたいな気持ちが強かったり、途中からは「こんなのを描いていると親が知って、親がどうにかなってしまったらどうしよう」と悩んだり、複雑な心境でした。

  『母がしんどい』より

――様々な葛藤がある中で、4年もの年月をかけて描かれたのですね。お母様に違和感を感じたのはいつ頃のことだったのでしょうか。また、お母様と離れることで、改めて感じたことがあれば教えてください。

田房永子さん:小さい頃から母はやりたいことがあれば、私の立場や交友関係に侵入してまでもやり遂げるところがありました。それで私はたくさん恥をかきました。抗議すると「お前のためにやっている」と返ってくる。「親心を拒絶するお前が悪い」と言いくるめられるんですね。私も「私が悪いんだ」でおさめてきていました。しかし29歳の頃、「私ってそんなに悪いのか?」と思うようになったんです。
母と離れたばかりの頃は、恨みや憎しみがいつも溢れてきてつらく苦しかったけど、だんだん自分が回復してくると、距離があるほうがいい関係でいられるなと思うようになりました。お互いに「お前が私好みの娘(母)に変われ」という要求をしあう仲だったんだな、と。
つまりそれは相手を否定し合う仲なので、離れたほうが母のいいところを思い出せたりしました。


「おかあさんをおかしいって思うのは間違ってない」と安堵


――田房さんご自身で一番インパクトに残っているエピソードはどのあたりでしょうか。

田房永子さん:母に「中絶したことあるの?」と聞かれたことですね。あの時の衝撃は、前後不覚になってうまく歩けなくなるくらい相当なものでした。漫画にする時も、のどかな午後の喫茶店でそんな会話が行なわれた狂気的な様子ができるだけ伝わるように、顔の表情や体の角度などを何度も描き直しました。
子どもの頃の最も理不尽なエピソードはスキー旅行をキャンセルさせられたことです。あれは本当にひどかったと思いますし、そう考えると勤務先に罵声電話をかけてきたのも強烈でした。あぁ…どんどん出てきて「一番」が決められません (笑) 。

  『母がしんどい』より

  『母がしんどい』より

――一読者として特に印象に残っているのが、受験の日にお母さまから暴言を投げつけられ、タクシーに乗ったところお母様が角材を振り回しながらで追いかけてきて…というエピソードだったのですが、その時の気持ちを改めておうかがいできますか。また、帰宅後はどうなったのかが非常に気になっています…。

田房永子さん:母が何をしでかすか分からないと怯え、恥をかかされることが日常的になっていましたが、そんな母でもさすがに外に出て角材を振り回してるのはあの1回だけでした。漫画の中では「うちのおかあさんはおかしいんですぅ」というセリフですが、実際には「うちのおかあさんは狂ってるんです!」と言ったのを覚えています。運転手さんが「ああ、うん」と分かってくれたのが、恥ずかしいし情けなかったけど、「やっぱ私がおかあさんをおかしいって思うのは間違ってないんだ」ということに安堵もしたんです。そんな風に、気持ちはいつもグッチャグチャでした。帰宅後は覚えてないけど、別に普通だったと思います。なにごともなかったかのような。

自分の望む距離感を大事にしながら再び会うように


――現在のお母さまとの関係はどのような形になっていらっしゃいますか。

田房永子さん:29歳の時から5年ほどは実家のある最寄り駅に近寄ることすら無理になり、両親と同じ苗字である旧姓で呼ばれるのも虫唾が走るくらい嫌で体調が悪くなるようになりました。でも子ども達が生まれてから、子どもを親に見せたいという欲望が芽生え、自分のできる範囲、望む距離を大事にしながら会うようになりました。
母は私のテリトリーを「自分のものだ」と認識しやすいので、母がそういうモードになったら拒絶する、という態度を何年もかけて続けることで、新しい距離感になったと思います。自分の恨みの気持ちを癒やしながらなので非常に時間がかかりました。
44歳になった最近、初めて母と父の誕生日に花を贈りたいという気持ちになって、素直に贈ってみました。とても喜んでくれました。そういう関係になりたいと目指していたわけではないけど、うれしかったです。

  『母がしんどい』より

親のことを「おかしい」と思っていい。嫌なら拒絶してもいい。そう繰り返す田房さん。自分が望む適切な距離感を保ちながら両親と接することができるようになった今、誕生日に花を贈って喜んでもらえたことを「うれしかった」と感じているのだそうです。

取材・文=宇都宮薫

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