「私は正しい」に囚われる母親たち。子どもに向けた「自覚のない虐待」とは

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ごめんなさい!

「子育ては人それぞれ」とは言うものの、子どもの成長が気になったり、夫婦で子育ての方針が食い違ったりすると「このままで大丈夫かな」と不安になったりすること、ありますよね。そんなふうに客観視することができればいいのですが、子育ての真っ最中はふり返る余裕がないことも。

また、その家庭で生まれた子どもにとっては、家庭のルールは疑いようのない「正しいもの」として育ちます。なんとなく決まっていった決まりごとや親の方針であっても、幼い子どもが異を唱えることはなかなか難しいですよね。「うちのルールってなんかヘン!」と笑えるものであればいいですが、DVやネグレクトなどもその家庭の「ふつう」として抱え込み、家族さえも気づかずに見過ごされてしまうことも少なくありません。

そんなそれぞれの家庭の内情を「お隣さん」という関係性で描き出した話題のコミックエッセイ『赤い隣人〜小さな泣き声が聞こえる』。境遇のまったく異なる親子が「お隣さん」として出会い、母親たちはそれぞれの「正しさ」のもと、懸命に子どもと向き合っていたはずでした。しかし孤独や迷い、不安を抱える母親たちとは裏腹な子どもたちの反応。次第にその「正しさ」は根底から揺らぎ始めて…。
SNSでは「こわい」「ぞわぞわが止まらない」という反応が。
読み手をヒヤッとさせるストーリーがどのように生まれたか、著者・野原広子さんにお話しをお聞きしました。

だれかがないてるこえがする

【ストーリー】シングルマザーとして、一人息子を連れて新しい街に引っ越してきた希(のぞみ)。希たちが住むことになったアパートの隣には、庭付きのかわいらしい一軒家が立っていました。希はそこに住む順風満帆な家庭の主婦・千夏(ちか)と、同い年の子どもを通じて交流するようになります。子どもたちの保育園や小学校など”お隣さん”として仲良くなっていった希と千夏ですが、しだいに千夏の一家は何かおかしいと違和感を覚えるようになって…。

もうすぐ小学生なのに


誰にも起こりうる?「しつけ」と「虐待」のボーダーラインを見失う怖さ

──新著『赤い隣人』について、本作を描こうと思ったきっかけをお聞かせください。「お隣さん」という人間関係が主軸にありますが、着想やアイデアなどはどのようなところから掴んでいったのでしょうか?

野原広子さん:子どもに対する虐待のつらいニュースで、「躾のつもりだった」という親側の言葉を聞いて、もしかしたら紙一重なのかもしれないと、ふと感じたことがきっかけです。
そして、大事な子どものはずなのに、虐待と言われるまでにエスカレートしてしまったのはなぜなんだろう?とその背後にあるものが気になりました。それと同時に私自信も子どもに対して「躾」として子どもにしてきたことが大丈夫だったんだろうか?とも思い返したりもしました。

自分が正しい、と信じてきたことも、もしかして…。“隣人”という他人から見たら、全く違う形に見えているのかもしれない怖さを描いてみようと思いました。

よろしくお願いします



”子どものため”と言いながらも、子どもを見ていない母親たち

──シングルマザーで小さなアパートで息子と暮らす希と、優しそうな夫と素直でかわいらしい娘と庭付きの一軒家に住む千夏という、境遇の異なる2人ですが、両者ともに「自分の正しさ」を軸に子育てをし、生活をしています。でもそれぞれに闇も抱えている。どんな意図が込められているのでしょうか。

野原広子さん:家族という枠から逃れて子どもと二人で生きようとする希、家族という形に固執し、そこに留まりながら子どものことを思う千夏。それぞれが”子どものため”と言いながらも、目の前の子どもの顔が見えていません。

誰でも我が子が一番可愛くて、世の中で誰よりも我が子のことを一番に考えている。だけど、それ故に見えなくなっていることもあるかもしれないと、希と千夏の姿を通して気づくことがあったら、と思いながら描き進めました。

また、暴力など目に見えるものではない「目に見えない虐待」は、されている子どももしている親も気がついていない場合もあるのかなと。「私は正しい」と信じている人でも、自分の中にも闇があるのではないかと、目を向けるきっかけになればと思っています。

パパは? どうして新しいおうちに来ないの?

愛されるには完璧でないといけないのよ



子ども同士が仲良しでも、親同士が仲良しとは限らない

──希や千夏、子どもが同じ保育園のよっちゃんママなど、母親たちのよそよそしい関係性とは別に、子ども同士は仲良しです。また予測できない子どもの行動に親が困惑したり、子どもが原因で保護者同士の関係が変わる…といったことも、子育て中はあることかと思います。野原さんご自身もそういった経験がありますか?

野原広子さん:親同士は仲良しではなくても、子どもたちは全然お構いなしで仲良しだったりしますよね。逆に親が仲良しでも子どもたちは仲が悪いとかもあるし。

ただ、思うのは親も子どもも仲良しであることがずっと何年も続くのってあまりないですよね。そういう人がいたとしても数人。私も、子育てが終わった今も仲良しなママ友は数えるくらいですね。子どもたちも仲が良いと思っていても、成長と共に関係が変わったり。

子どもが原因で保護者同士の関係が変わることはもちろんあると思います。千夏のように親同士の感情を子どもの関係に押し付ける人もたしかにいます。でも子どもたちに何かあった時には、仲が良いとか悪いとか関係なく、大人たちが力を合わせるということも経験してきています。

いざという時にはちゃんと大人として行動できる親たちでありたいですね。

ケンちゃんあそぼー


あなたの身近にもいる?他人のプライベートを知りたがる「お隣さん」

──登場人物のなかでもかなり強烈な存在感を放つ詮索好きのおばさんである「トヤマさん」という人物は、どのように生まれたのでしょうか。

野原広子さん:トヤマさんみたいなお隣さんって、昔はよくいたような気がします。とにかく家の中のことを聞いてくるし、ご近所のこともものすごく知っていて、どうしたらそんなことまで知っているのか?と。

トヤマさんが子どもたちから家庭の話を聞こうとする場面がありますが、私もよく小さい頃は知らないおばさんに聞かれるがままにペラペラと家の事情をよく話してしまっていたりしましたね(笑)。今はこんな人はあまり見かけなくなりましたが、お節介なのか、親切なのか、それもまた紙一重な人物としてして登場しています。

ママとふたりで暮らしてるの?



見張られている?無言電話も…野原さんが経験した怖い「お隣さん」

──野原さんご自身が経験した「お隣さん」にまつわるエピソードがありましたら、ぜひ教えてください。

野原広子さん:これまでいろいろなところに住んで、いろいろなお隣さんがいましたが…、「何時まで起きてたね。」とか、「何時に出かけたね。」とか言ってくるお隣さんはイヤでしたね。
別なところでは、無言電話がかかってくる時期があって、一体誰なんだろう?と調べてみたら、お隣さんだったことがありました。お隣さんの中で、こちらが意図しなくても、なにか引っかかるものができてしまっていることがあったのかもしれません。

いいエピソードとしては、幼かった頃隣に住んでいたおばあちゃんが、自分の娘と小さかった私を重ねて可愛がってくれて、七五三の着付けをしてもらったり、お裾分けを頂いたりと温かい関係もありましたね。

お隣さんとはできる限り、平穏な関係を保ちたいものです。

何が狙い?


──読者の方へのメッセージをお願いできますでしょうか。

野原広子さん:「赤い隣人」はお隣に住む希と千夏を中心とした”自覚なき虐待”がテーマです。一生懸命で正しいと思っていたはずのものが、いつしか孤独という穴の中で違うものになってしまっていないか?そして、それに気がついているか?いないか?

お隣さんという関係から見えたそれぞれの姿を描いたお話です。どうぞよろしくお願いします。

あなたのやっていることは虐待よ


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誰でもわが子は愛しいもの。その愛情がゆえに、自分の子育てについて冷静さを欠いてしまうことは、誰にも起こりうる可能性が…。孤独と不安の渦中にいる希や千夏の姿を追うことで、子育て中の自分の心に潜む「闇」と向き合い、子どもへの接し方を考え直すきっかけになるかもしれません。

取材・文=河野あすみ

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