海外旅行がさらにおもしろくなる「観光名所」の眺め方

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ギョレメ野外博物館。キリスト教徒たちが造った岩窟教会や修道院が30ほどある。リンゴの教会、聖バルバラ教会などの室内に施された見事なフレスコ画が見物。

海外旅行は好きだけれど、有名な観光地に行っても「キレイだった!」「なんかスゴかった!」で終わってしまう、という人も多いのではないでしょうか。これからは、なんとなく写真に収めて終わりにするのではなく、その場所にある歴史的背景を踏まえて、そこで感じたものを思い出として持ち帰るような旅にしませんか?

本記事では、海外旅行がさらにおもしろくなる、観光名所の眺め方をお届けします!

※本記事は佐藤幸夫著の書籍『人生を彩る教養が身につく 旅する世界史』から一部抜粋・編集しました。

東西諸文化による「世界史ミルフィーユの地」トルコを旅する

歴史・文化・宗教の交差点カッパドキア

トルコの中央アナトリアに位置する歴史都市カッパドキアは、立地上、交易に重要な意味を持つ場所として幅広い交通の要でした。この地域にはやわらかい石灰質の岩々に穴を掘った隠れ家的な家が多くあり、ローマ帝国による迫害を逃れたキリスト教徒が一時隠れ住んでいたとされています。

ギョレメ野外博物館。キリスト教徒たちが造った岩窟教会や修道院が30ほどある。リンゴの教会、聖バルバラ教会などの室内に施された見事なフレスコ画が見物。

これはギョレメ野外博物館。キリスト教徒たちが造った岩窟教会や修道院が30ほどあり、リンゴの教会、聖バルバラ教会などの室内に施された見事なフレスコ画が見物です。

トルコがイスラーム教の支配下に入ると、さらに迫害を逃れてくる者が多くなり、多くの地下都市などが造られるようになったのです。

カイマクルの地下都市。礼拝場の他に、食堂や食料・ワイン保管庫、学校や集会場もあり、敵の攻撃を防ぐ通路封鎖システムも備わる。

これはカイマクルの地下都市。礼拝場の他に、食堂や食料・ワイン保管庫、学校や集会場もあり、敵の攻撃を防ぐ通路封鎖システムも備わっています。

ギョレメ野外博物館にある岩窟教会やゼルベの谷のキノコ岩群、カイマクル・デリンクユなどの地下都市は有名でしょう。岩窟を一望できる気球のツアーが人気で、「カッパドキア=気球」のイメージもついています。

「第2のローマ」としての長き歴史を持つコンスタンティノープル(現イスタンブル)

ギリシア=ポリスの植民者が建設したビザンティオンは、現在のイスタンブル旧市街の先端部分に位置します。2世紀末にローマの軍人皇帝に破壊されましたが、まもなく再建され、競馬場などが建設されました。330年にローマ皇帝コンスタンティヌス他はこの町を「コンスタンティノープル」と改名し、ローマ帝国の首都とします(異説もあり)。その息子コンスタンティヌス2世の時に、最初の「ハギア=ソフィア聖堂」が造営されました。

ハギア=ソフィア聖堂。トルコ名は「アヤ=ソフィア」。1453年オスマン帝国占領時にモスク化→20世紀にトルコ共和国になり博物館に→2020年に再びモスク化された経緯を持つ。

ハギア=ソフィア聖堂。トルコ名は「アヤ=ソフィア」。1453年オスマン帝国占領時にモスク化→20世紀にトルコ共和国になり博物館に→2020年に再びモスク化された、という経緯を持ちます。

ローマ帝国が東西に分裂した後、コンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都となり、ギリシア正教会の中心地として栄えます。分裂からおよそ1100年後、東ローマ帝国はオスマン皇帝メフメト2世に滅ぼされ、イスタンブルに改名されました。街全体がイスラーム化され、ハギア=ソフィア聖堂もその一環でモスク化されたといわれます。

トプカプ宮殿のハレム。メフメト2世がコンスタンティノープルを占領した際に新宮殿として造営。ハレムは女性だけの空間で、女性たちの主導権争いも行われるなどした。

トプカプ宮殿のハレム。メフメト2世がコンスタンティノープルを占領した際に新宮殿として造営。ハレムは女性だけの空間で、女性たちの主導権争いも行われるなどしたそう。

観光地の背景にある歴史に思いを馳せながら、建物や絶景を眺めると、深みのある旅になるでしょう。ぜひ旅の予習をしてみてください。

【著者プロフィール】
佐藤幸夫
大学受験予備校代々木ゼミナール世界史講師。大人のための世界史学び直しツアーを開催するほか、現在はエジプトに在住し現地でもツアーを企画している。著書に、『大学入試 マンガで世界史が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)などがある。

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