まさかの本震で屋根が潰れて...。子どものケアで疲労が大きい避難所生活
【地震発生当日 (前震) 】眠る子を抱えて脱出
就寝中に地震が発生。「眠っている子どもたちを抱きかかえ、すぐ外に。この時点でライフラインは停止。必要最低限のものだけ家に取りに戻り、この夜は近所の方が貸してくれた車で就寝。その方からは水や食料もいただいたんですよ」
寝室が玄関近くで助かった
寝室の位置は偶然にも玄関近く。非常用持出袋も玄関のそばに置いてあり、地震でものが散乱していてもすぐに持って避難できました。
【翌日】家の中も外もぐちゃぐちゃ。5分ごとに大きな余震も
翌朝家の片づけに戻ると、物が散乱していたものの、家電や家具は無事だったそう。
「片づけを終え、近くの公民館へ。残り少ない中からおにぎりやパンを2人分だけもらい、公園の水道で水を確保」

地面には亀裂が入り大量の瓦が落ちた。
【3日目 (本震発生当日) 】深夜にまさかの本震で屋根が潰れる
自家用車も無事だったので、この夜は車中泊することに。
「夜中の1時頃、本震が発生。車は横転しそうなほど左右に揺れていました。家を見上げると潰れた屋根が見え、『もうここには住めないんだ』と、あぜんとした記憶が」

【3日目 (本震発生日の午前) 】学校に避難。情報が入らず絶望的な気持ちに
本震発生後避難していた公民館から、小学校の避難所へ移動。
「この時点での情報源は、他県に住む姉からのメールだけ。断片的な情報だけで全体像が分からず、絶望的な気持ちでした」。4日目ごろにはテレビが設置され、Wi-Fi 環境も整ったそう。
カセットこんろがうらやましい

校庭で、カセットこんろで調理しているご家族を見かけて、なんて便利なんだと。備えておけばよかったなと思いました。
【3日目 (本震発生日の午後) 】気を紛らわせるためにボランティアをする

家に行き、子どもの制服などをピックアップ。「帰る家がない現実から目を背けたくて、食料配布のボランティアに参加。高齢者や幼児から配るルールで、中高生や大人は後回し。いちばんエネルギーがいる世代なのに、と心苦しかったです」
励ましのことばがつらい…
友人からの励ましのことばが、正直にいってつらかった。私を思ってのことばだと分かっていても、実際に家をなくしてみると、とてもじゃないけれどがんばる気持ちにはなれなかったんです。
【5日目】子どものケアなどで疲労を感じ始める
「当初、食事はパンやバナナなどが提供されていましたが、このころから避難所などの女性が中心となって、家庭科室で料理を作るように。GW明けには配給が安定し、カップ麺やコンビニ弁当の提供になりました」。緊張の糸が切れたのか、疲労を感じ始めたのもこのころ。
【6日目以降】避難所に負の空気が漂い始める

周囲の人にも疲労の色が見え始め、イライラとした負の空気を感じるように。「そんな中での救いは、遠方の友人に誰にもいえない愚痴のメールを書くことでした。彼女とは程よい距離感があったので、いいやすかったのかも」
広い車か子連れ専用部屋があれば...
周囲に気を遣わずに過ごせて、一人になれる場所がとにかく欲しかった。着替え場所がないのも、つらかったですね。
もし地震の1日前に戻ったら何をする?
□備蓄品のチェック
□湯船の水、車のガソリンを満タンに
「カセットこんろ、カッター、ネームペン、テント、簡易トイレ、耳栓、プラスチック箸など、避難所生活の中で便利だったもの、これがあったらよかったのにと思ったものを、しっかり準備しておきたいですね」。また、車のガソリンは満タンに。洗濯や洗い物用の水を湯船にためておきたいとも。「食料は、食べ慣れていておいしいものを準備。例えば『ビスコ』や『クリーム玄米ブラン』などは栄養価が高くて腹もちがいいので、災害時にも役立つと思います」
子連れの避難所生活が、これほどまでに大変だとは...。わが家にも幼児がいるので身につまされるお話でした。子どものための防災グッズの用意も、入念にしておきたいと思います。
イラスト/oyasmur 取材・文/恩田貴子