二度の火事に病気、さらに退位を迫られて。不運な人生を送った天皇の辛すぎる胸の内【百人一首を覚えよう】/のびーる国語 百人一首(12)

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こんな世の中もういやだ~

『のびーる国語 百人一首』12話【全12話】


『百人一首』は、飛鳥時代から鎌倉時代の間に作られた和歌の中から、藤原定家がよりすぐりの百首を選んでまとめたもの。古典に馴染みがない人も、小野小町や在原業平(ありわらのなりひら)、菅原道真、紫式部といった歌人の名前なら、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

今から約800年前の歌ではありますが、恋や人生観、美しい風景を見たときの気持ちなど、歌に込められた思いは、実は現代とそう変わらないものも。また、歌人のプロフィールや時代背景なども知れば、和歌の世界がぐんと身近に感じられるはずです。当時の人の心や考えに思いを馳せながら、気軽に百人一首の世界に触れてみませんか? 

※本記事は監修/吉海直人、カバー・表紙/ブラックインクチームの書籍『のびーる国語 百人一首』から一部抜粋・編集しました。


心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

和歌が作られた時代/平安時代後期
和歌が収められた歌集名/後拾遺和歌集

作者 三条院/976~1017年

第六十七代天皇。即位後、5年で位をゆずり、翌年亡くなる。病弱で、苦労の多い一生だった。

語句を深ぼり!

心にもあらで=心にもなく。
うき世=つらい世。「うき(=憂き)」は、「つらい」という意味。

苦労続きの人生

きれいな月だね


これも覚えておこう!

藤原道長=藤原氏最盛期に政治的権力をにぎっていた人物。自分の孫を天皇にするために、当時天皇だった作者に位を退くようせまった。
当子内親王(とうしないしんのう)密通事件=三条院の娘である当子内親王が、藤原道雅(ふじわらのみちまさ)とかくれて会っていたというスキャンダル。 おこった三条院は二人の仲を引きさき、二度と会えなくした。

不運な人生を送った天皇の辛すぎる胸の内

つらすぎるこの世

プラスα
三条院がかかっていた目の病気は、 緑内障だったといわれているんだ。 見える範囲がせまくなる症状が表れて、 最終的には失明することもあるんだよ。

著=吉海直人、ブラックインクチーム/『のびーる国語 百人一首』

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