母は父の奴隷だった。父が入院してうれしそうだった母に見た夫婦関係【体験記】
人に大きな声では言えないけど、日々心にためていることがある…!?「義両親との関係、こんなに大変」「すべてを私に任せっきりの夫についにブチ切れた!」「職場に変わった人がいて迷惑を被っている」…などなど、レタスクラブニュース世代が直面するさまざまなモヤモヤや課題について、当事者が執筆。そうそう、あるある!と共感できることうけあいです。
<この体験記を書いた人>
ペンネーム:お猿日記
性別:女
年齢:40代
プロフィール:体調の変化に敏感になりながらも楽しく年を取っていけたらなと思っている主婦です。

両親は仲がよい夫婦ではありませんでした。はっきり言えば、父は母を家政婦、時には奴隷のように扱っていました。しかし、一緒に出掛けたり、家族で出かけた際は、みなにこやかに振る舞う仮面家族でした。
母は父とは違い社交的なタイプ。父は、楽しそうにする母を見ては機嫌がわるくなったり、バラエティー番組を見て大笑いする母の横で「くだらない」と吐き捨てては、別の部屋でNHKを見ていました。麺料理を用意すると別のおかずを要求。昼休みに家に電話をかけてきて夕飯のメニューを確認、気に入らないと別メニューを要求するか、外で食事を済ませてきます。このようなことに言い返すこともなく、黙って準備をしていた母……。
大人になった私は母に「もう我慢しなくていいよ」「数年後にでも独立できるように準備したら?」と離婚を勧めました。でも母は首を縦にはふりませんでした。父は会社を経営していたため収入は十分あり、見栄っ張りな母にとってはその経済力だけが夫婦をつなぐ理由だったかもしれません。
二人でウォーキングに行ったり、映画を見に行ったりすることもあるのです。それを見ていた若い頃の私は、「夫婦なんてわからないものだ」と思っていました。ですが、行くと言い出すのは父で、従わないとその後機嫌が悪くなるから仕方なく一緒に行っていたのが本当のところのようでした。
数年後、父の会社が倒産。収入どころか借金を抱えた年金生活者となり、両親は狭い公団住宅へ引っ越しました。そしてその後、父はアルコール依存症になりました。そんな父を見たくない母は、パートを3つ掛け持ちしなるべく家にいないようにしていたようです。私は遠方に住んでいたため、そういった様子は目の当たりにせずにいました。
そんなとき、突然母から父が倒れたと連絡がきたのです。病院に行くと、父はすでに受け答えができない状態になっていました。母もはじめは戸惑っていたようでしたが、「家に帰ってもお父さんがいないと思うと気が楽」「今日からゆっくりお風呂にはいれる」と、ほっとした表情。そんな母の姿を見て複雑でした。誰が見ても父はもう長くないだろうという状況なのですが、母はなんだかうれしそうなのです。
しかし、周囲の予想に反して、父は入院から数日後驚異の回復をみせました。話はできないものの意識はあり、目をあけ介助を受けながら食事ができるようになったのです。
「リハビリ頑張ってご自宅で過ごせるようにしましょう」と思いがけない医師からの言葉。
その言葉を聞いて、目に見えて母はがっかりしていました。
看護師さんが父の指に自分の指を挟み、手首を回すようにストレッチを始めると「奥さん、こんな感じでご自宅でもやってくださいね」とニコニコしながら指導してくれました。母は私に「お父さんの体に触るのいやだよ」「家に戻ってくるのいやだよ」「おむつの交換もいやだよ」と、やっと本音というか正直な気持ちを伝えてきました。
父はもう昔のように物にあったったり、怒鳴ったりはできなくなっていたのに、そんな状況でも母は父に恐怖を感じていたようです。私は母の気持ちを理解し、どこか施設へお願いできないかと検討をはじめました。
そして、その間に父は亡くなりました。
結婚して50年。母は幸せだったのか、父との間にうまれた私のことをどうおもっていたのか……。考えると私もつらい気持ちになります。もし最後、回復したときに父が母に「すまない」や「わるいな」などと一言あったなら、どんなに救われただろうか、と母の気持ちを想います。
※記事に使用している画像はイメージです。
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