【クイズ】喪服は昔、何色が主流だった? 頭のいい子が育つ! 子どもに話したい雑学(60)
「一晩置いたカレーがおいしくなるのはなぜ?」「ポン酢のポンってなに?」…というような学校では教わらないけれど子どもに話したい雑学を集めました!
子どもが思わず「パパ、ママ、すご~い!」と言ってしまう「おもしろ知識」「生活の知恵」が盛りだくさんの『頭のいい子が育つ! 子どもに話したい雑学』から、第60回目をお送りします。
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喪服はもともと「白」が主流だった!
喪服(もふく)といえば、現在では黒系の色を着るのがしきたりとなっているが、その色はさまざまな変遷をたどって黒に落ち着いたといわれている。実際、明治初期までは白い喪服が主流で、『日本書紀』にも記されているほど、その歴史は古いとされる。
『日本喪服史 古代編―葬送儀礼と装い―』を著した学習院女子大教授・増田美子(よしこ)さんによると、それまでの白から黒へと変わったのは、養老(ようろう)2年(718)の養老喪葬令(そうそうりょう)がきっかけ。「天皇は直系二親等以上の喪には『錫紵(しゃくじょ)』(薄墨)を着る」と定められ、平安時代には貴族の間で濃い黒の喪服が少しずつ広まっていった。
ところが、室町時代には白が復活。江戸時代に武士が黒紋付を喪服にしていたこともあっが、その後も基本的には白い喪服が一般的だった。
喪服が白だった理由には、「死の汚(けが)れを払うため」というもっともらしい説があるが、急なことだけに「染めるいとまがなかった」、または「染めるのに手間がかかるから」というのがほんとうのところかもしれない。
では、なぜふたたび黒に戻ったのかといえば、これには諸説あってはっきりとしない。
太平洋戦争の激化とともに絹の白無垢が手に入りにくくなったため、素材にこだわらなくていい黒が定着したという説、あるいは、西欧諸国では昔から黒の喪服だったことから、この葬送ファッションの影響を受けたという説もあるそうだ。
監修=多湖 輝/「頭のいい子が育つ! 子どもに話したい雑学」(KADOKAWA)
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監修:多湖 輝
1926年、スマトラ島生まれ。東京大学文学哲学科卒(心理学専攻)、同大学院修了。千葉大学名誉教授。東京未来大学名誉学長。幼児教育から高齢者問題まで、多岐にわたる研究活動を行なうかたわら、各種執筆はもちろん、テレビ出演やゲームソフトの監修など、幅広い分野で活躍。2006年、瑞宝中綬章受勲。2016年に逝去した後も、その柔軟な考え方は、いまだ高い支持を得ている。
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