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皆が知ってる「白衣の天使」には、裏の顔があった…⁉【オンナ今昔物語3】
実像その3 本当に偉大な業績は後半生のもの

帰国したナイチンゲールは、体を休める暇もなく、陸軍病院の改革を訴え始めました。陸軍組織が変わらなければ、次の戦争で同じような悲劇が起きると考えたからです。
彼女はヴィクトリア女王とも謁見し、ぼう大な統計データを使って自説を訴えました。陸軍の守旧派はなかなか動きませんでしたが、ナイチンゲールは政界への人脈も駆使し、何年もかけて改革を実現させていきます。
この間、37歳のナイチンゲールは過労のため倒れ、以後の長い生涯を療養に費やすことになります。しかし仕事への熱意は薄れず、執筆活動や要人との面会は続きました。
彼女が力を注いだのは、後進の育成です。「ナイチンゲール基金」を設立し、看護婦養成学校を新設したのです。また、彼女の経験と観察にもとづいた理想的な病室を設計し、「ナイチンゲール病棟」と呼ばれました。
生涯で150冊にのぼる著作、陸軍の衛生改革、統計にもとづいた近代的医療の確立……彼女の主要な業績は、有名なクリミア戦争より後の、長い後半生に成し遂げられたものです。
実像その4 周囲の人々を犠牲にする信念の鬼
病気のために動けなくなったナイチンゲールの活動は、周囲の協力者が支えていました。しかし、ナイチンゲールの理想はあまりにも高く、時に親しい人を犠牲にすることもありました。
叔母のメイ(メアリー)は、ナイチンゲールが少女だったころから彼女の理解者であり、惜しみない援助を続けました。しかし、仕事の手伝いはあまりに多忙で、家庭を犠牲にすることに疲れ切ったメイ叔母はナイチンゲールのもとを去ります。この時、彼女は叔母のことを「裏切り者」と罵りました。
アーサー・クラフは、メイ叔母の娘の夫で、ナイチンゲールの秘書のような役目を引き受けた青年でした。体を壊したナイチンゲールに代わり、看護婦要請学校の設立の実務をこなしましたが、激務によって倒れ若死にしました。
政治家のシドニー・ハーバートは、ナイチンゲールの思想に共鳴した「同志」といえる存在で、クリミア戦争従軍や陸軍の改革を後押ししました。ところが、腎臓の病に倒れたとき、ナイチンゲールは「改革は道半ばだ」と言って引退を許しませんでした。彼は衰弱した体で陸軍大臣の職務を続け、死期を早めました。
ナイチンゲールは間違いなく、類まれな強い意志の人でした。一方で、崇高な理想のためなら周囲の人も犠牲にできるという、常軌を逸した人格でもあったのです。
1910年、世界中から尊敬を集め続けたナイチンゲールは、90歳で世を去りました。彼女は、看護学を大きく発展させた偉人として記憶されています。
彼女は気高い理想を持っていただけでなく、したたかな現実主義者でした。また、理想のためなら他人を犠牲にすることもいとわない冷酷さも持ち合わせていました。「白衣の天使」の一言では片づけられない、強烈な個性を持った女性でした。
文/三城俊一(みきしゅんいち)
文筆家。1988年奈良県生まれ。学習塾講師や教材制作業の傍ら、歴史系ライターとして活動。著書に「なぜ、地形と地理がわかると現代史がこんなに面白くなるのか」(洋泉社新書)、「ニュースがわかる 図解東アジア史」(SBビジュアル新書)など。
イラスト/なとみ みわ
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