年末といえば第九! 恋しやすくジョーク好き「ベートーベン」の意外すぎる素顔

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シラーの詩に出会い感動するベートーベン

12月も後半に入り、2022年も残りわずかとなりました。年末といえば「第九」! 毎年第九を聞くと、今年が終わり、新しい1年が始まるという気分がぐっと高まります。第九は1824年に発表された『交響曲第九番<合唱付き>』。ベートーベンの9曲目の交響曲。そして年末の風物詩となっているのは第4楽章の『歓喜の歌』です。

ところで第九を作ったのがベートーベンだというのは有名な話。でも、ベートーベンがどんな人物だったかご存知の方は意外と少ないのではないでしょうか…? 今回は改めて偉大な音楽家・ベートーベンについて紹介します。

ベートーベンの一生

1770年、ボン(現ドイツ連邦共和国)に生まれたベートーベン。7歳3ヶ月にして公開演奏会で初めて演奏し、「天才」と拍手喝采を浴びます。そして11歳で最初の作品を作曲。16歳の時にはモーツァルトと出会い、その才能を認められます。(モーツァルトとベートーベンは出会っていたのですね!)

『まんが人物伝 ベートーベン 生きる喜びを伝えた作曲家』より

両親を相次いで亡くしたベートーベンは、弟たちの面倒を見ながら、音楽活動に精を出します。その間フランス革命が起こり、第九の歌詞となる、シラーの『歓喜に寄す』に出会います。「いつかこの詩に曲をつけたい!」そう心に決めたベートーベンはさらに音楽に力を入れます。ところが24歳でピアノ協奏曲を発表し、注目されるようになりますが、難聴を発症してしまいます。

どうやら耳が聞こえなくなってきている

耳が聴こえない音楽家なんて…と絶望したベートーベンでしたが、音楽家としての自分の使命に気づきます。そして音楽と向き合い続け、『交響曲第五番<運命>』など数々の名曲を世に送り出します。そしてとうとう53歳の時に完成したのが、かつてベートーベンの心を感動させたシラーの詩を使った『交響曲第九番<合唱付き>』、そう、第九でした。この頃にはすでに耳はほとんど聴こえていなかったそうです。

味方も敵も!すべてを愛そう!!

その後 56歳で人生に幕を閉じたベートーベン。数々の苦難を乗り越えて生み出された曲だからこそ、現代でも私たちの心を震わせるのでしょう。

ベートーベンの秘密

ベートーベンは恋多き人だったそうですよ。ちょっぴり意外…⁉

生計を立てるためピアノの先生をしていた時の教え子など数々の女性に恋をしたベートーベン。エレオノーレやヨゼフィーネ、ジュリエッタなど多くの女性が彼の人生に登場します。あの有名な『ピアノソナタ第十四番<月光>』はジュリエッタに捧げた曲だと言われています。

ジュリエッタに恋心をいだいたベートーベン

また、ベートーベンはジョークが好きで、バイオリニストのシュバンツィヒが太ったことをからかって『でぶっちょちゃん、お顔を見せて!』という曲も作ったとか。

また、憧れの作家・ゲーテと仲良くなりたいがためにあえて無礼なふるまいをし、「どうにも手に負えない人物」と評されたようです。(もちろん、音楽の才能は認められていたようでしたが…。)

ベートーベンは困難が多かったというイメージが強いですが、じつはその裏には、このような一面もあったのですね。

ベートーベンの名言

ベートーベンが残した名言、ご存知でしょうか? 早速見ていきましょう!

「わたしを引き留めたものは ただ『芸術』である」
20代の頃から難聴を発症し苦しんだベートーベンは遺書まで書いたそうです。ですが、自分の書いたその遺書によって自分の音楽家としての使命に気づき、思いとどまったそうです。

わたしにできる事といえば

「優れた人びとは 苦悩を突き抜けて歓喜を勝ち得るのだ」
弟も亡くし、聴力も失いつつあったベートーベンが同じく苦境に立たされていた知人に宛てて書いた手紙に書かれた言葉。苦難の中にあっても自分を奮い立たせるためにこの言葉を書いたと言われています。

若い頃に両親を亡くし、その後弟も亡くし、聴力も失ってしまったベートーベン。大きな悲しみや苦しさの中に立ちながらも、懸命に音楽と向きあっていたからこそ数多くの名曲が生まれたのだと分かりました。若かりし頃出会ったシラーの詩に曲をつけたいという情熱を持ち続け、耳が聴こえなくなっても諦めず音楽に向き合う中で作曲された「第九」。今年の第九はいつもとまた違って聴こえる……かもしれませんね。

では皆様、よいお年を〜!

テキスト=mm

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