しんどさを競い合うのは不毛。夫婦で役割分担をすり合わせるのに必要ななものとは? 漫画家・ツルリンゴスターさんインタビュー

#くらし   
 『君の心に火がついて』より


対等でない夫婦関係に苦しむ主婦・つむぎ。本来の自分に蓋をしてきた彼女の前に「人の心に灯る火の力で生きている」という不思議な少年「焔」が現れて……。
さまざまな背景を持つ登場人物たちが自分の「火」と向き合う過程を描いた話題作『君の心に火がついて』。作者のツルリンゴスターさんに、第1話・第5話に登場する早瀬夫婦のエピソードについて伺いました。まずはあらすじをご紹介しましょう。

『私たち夫婦って言えるのかな?』『私たちやり直せるのかな?』あらすじ


『君の心に火がついて』より

ワンオペ育児に追われる日々に疲れ、辛い気持ちを抱えていた主婦の早瀬つむぎ。彼女は夫の一哉と何度も話し合おうとしましたが、「母親なんだから我慢しろ」「みんな当たり前にやってることだ」と睨まれて何も言えなくなっていました。

そんな彼女の前に「人の心に灯る火の力を吸って生きている」と話す不思議な少年・焔が突然現れます。焔との対話を通して、つむぎの心には変化が起こりました。状況を打開する方法を探していくうち、自分と一哉の間にある問題の背景には、モラハラや男女格差などさまざまな社会問題が関わっていることに気づきます。

『君の心に火がついて』より

自分と同じような状況にある人がたくさんいることに気づいたつむぎは、夫に支配される関係を脱するために、夫と戦うことを決意します。

一方、これまで従順だった妻が突然別人のようになってしまったことに夫の一哉は苛立ちます。そんな一哉の前に現れた焔は、つむぎがそれまでひとりで抱えていた葛藤や孤独を彼に見せるのでした。

『君の心に火がついて』より

妻の内面を見て戸惑う一哉は、男性育休を取っていた会社の後輩・藤阪に状況を話し相談します。家事をメインで担当してきた藤阪は自身の経験を語りながら、一哉とつむぎの関係は対等ではなく搾取だと指摘します。

『君の心に火がついて』より

藤阪の言葉に動揺する一哉は、戸惑いながらも少しずつ家事と育児に向き合うようになります。つむぎもまたそんな夫の変化を少しずつ受け入れ、対等な関係への一歩を踏み出します……。

現代に生きる一組の夫婦の姿を通して、社会構造の歪みを見つめるエピソード。ツルリンゴスターさんがこの物語を描いたきっかけは何だったのでしょうか。

SNSで見かける「夫婦のすれ違い解消法」に違和感


――このエピソードでは、家事や育児に追われて孤独感に苛まれる妻と支配的な夫が描かれていました。なぜこのテーマを描こうと思われたのでしょうか。

ツルリンゴスターさん:第一話を描いた3年前は、夫婦のすれ違いについてSNSで話題になることが増えてきた時期だったと思います。それに対してのコメントやネット検索でも「夫婦間の話し合いが重要」と、夫婦の関係の中だけで解決を促したり、家事育児の分担も「夫を褒めて、やる気を出させて」というアドバイスが検索上位にきたりという状況でした。

そうではなくて夫婦という閉じられた関係の中でも、人権や尊厳、夫婦・家族という仕組みを作っている社会の話に触れたストーリーを描きたい、と思ってこのテーマを最初に選びました。

『君の心に火がついて』より


自身も共働きの3児の母。夫婦の役割分担に悩んだ経験が


――ツルリンゴスターさん自身も「母親」でいらっしゃいますが、実際に子育てをする中で感じたことなどを交えた部分もあるのでしょうか?

ツルリンゴスターさん:子どもが3人いて共働きなので、家事育児の分担についてはうちも話し合いを繰り返してきた長い歴史があります(笑)。出産当初は私も夫婦の役割について無意識に保守的な考えを持っていて、やっていくうちに「なんだか苦しいぞ」ということになってきて。夫も激務なので常に「しんどい」状況で、ただしんどさを競い合う当初の話し合いは平行線でした。

でもあることがきっかけで膠着状態が解けたんですね。それは、『お互いのしんどさの背景には実は人権や社会問題が絡んでいる』という話ができたことでした。

――夫婦の役割分担から人権や社会問題にまで話し合いが至るには、どのようなやりとりがあったのでしょうか?

ツルリンゴスターさん:話し合いは色々な方法でやってきましたが、いつもあるのはお互いの共通のゴールを決めることだったのかなと思います。「家族全員が幸せになれるようにやっていきたい」というところに向かうんだと設定して、あとは自分はこうしていくよという意思表明をし合います。家事はできないときはしない、休みたい、キャリアを積みたい、趣味の時間を作る、お互いをコントロールしない、こどもは2人で見る…どれも権利やジェンダーロールへのカウンターとなる話です。なぜそう思ったのか、それが今までどうしてやりにくかったのかというところで背景にある社会構造の話になりますよね。実はライフプランや子育ての方針について、私と夫で細かい部分で考えていることが違います。ただ向かうゴールは同じという確信はあって、そのつど私たち夫婦もこどもたちも、それぞれ自分が心地いいと思える”選択”ができる余地を残すようにしています。

一度人権の話ができる関係が作れれば、あとは家族の状況に合わせて、つど家事育児分担のすり合わせができる。最初はお互いおそるおそる権利や政治の話をしていたけど、繰り返すうちに生活の中で自然にできるようになりました。


「社会」も「人権」も、日々の生活と密接につながっている

『君の心に火がついて』より


――「私が辛いって思う気持ちはどうして無視されるんだろう」という妻の言葉は、多くの母親が共感する部分なのではないかと感じました。このセリフはどういう思いから出てきたものでしょうか?

ツルリンゴスターさん:今辛い状況にいる人が声をあげているときに、「辛いのはあなただけじゃない」「それを選んだのはあなただ」「こちらだって辛い」と、論破することでその声をなかったことにしようとする動きが反射的に生まれるのは、夫婦という閉じた関係でも、社会という大きな流れの中でも同じように見られます。こうして”社会”とか”人権”と言葉で書くと「怖い」「大げさだ」と拒否反応が出る気持ちもわかるのですが、密接に日々の生活につながっている。よくある夫婦の日常で、よくある母親の言葉としてそれを伝えるときに、そのセリフだといろんな人にひっかかるのではないかなと思いました。

――レタスクラブの連載では、夫サイドの思いについて描かれた回の反響も大きかったです。夫視点のエピソードについてはどんな思いで描かれたのでしょう。

ツルリンゴスターさん:つむぎサイドのエピソードだけで話を進めると、一哉の状況が置いていかれて偏っているように読めてしまうので、両者の状況がわかるように描きました。一哉も気づかない間に男性社会の抱える問題に巻き込まれて自分を追い込んでいる背景があります。つむぎとの問題とその問題は分けて考えなければいけませんが、夫婦という閉じられた関係の中では、後者の問題のケアとして配偶者の選択肢を減らしたり、孤独に追い込んでしまったりすることが往々にしてある、ということが伝わればと思いました。

『君の心に火がついて』より


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夫婦で解決すべきと思われていた問題も、視野を広げてみると、実は社会全体の構造が起因していると語るツルリンゴスターさん。目の前にあるモヤモヤを丁寧に紐解いていった先に、自分にも心に「火」がつく瞬間が待っているのかも……と思わされます。

取材・文=宇都宮薫

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