その「かくあるべき論」は本当に子どもの成長に必要? ぬまっち流自分で伸びる小学生の育て方(3)

#育児・子育て   

ここ数年、教育の分野で注目を集める「アクティブ・ラーニング(参加型学習)」をご存じですか? この世界標準の教育法をいち早く日本で実践してきたのが、テレビも珍百景として紹介された「ダンシング掃除」や、やる気スイッチをONにする「内閣制度」などユニークな参加型学習を生み出した東京学芸大学附属世田谷小学校教諭ぬまっち先生こと、沼田晶弘さんです。自分で楽しみながら考えることで、自然とコミュニケーションスキルが磨かれ、自ずと「伸びる」小学生の育て方を7回連載で紹介してくれます。今回は第3回目です。

得意なものを伸ばして「成長サイクル」を身につける「世界標準のアクティブ・ラーニングでわかった ぬまっち流 自分で伸びる小学生の育て方」


「かくあるべき論」は子どもをダメにする


唐突ですが、皆さんは焼き肉を食べに行ったとき、白いご飯をどのタイミングで頼みますか?

おそらく、多くの人は最初の注文ではお肉や野菜、キムチなどを頼み、白いご飯ではないにしても、ピビンパやクッパなどのご飯ものは頼まないでしょう。それで最後の締めでご飯ものを頼むのが多くの人のスタンダードだと思います。

でもボクは、白いご飯が好きなので、できれば最初に頼んで、焼き肉をご飯の上に2バウンドくらいさせてから、そのあとにかき込みたくなるタイプなんです。だって、せっかくなら、おいしいおかずがたくさんあるうちに、ご飯も楽しみたいじゃないですか。

でも、最初の注文で「ご飯も!」と頼むと、決まって「えっ、もう?」と言ってくる人がいます。「最後、クッパで締めるからご飯いらなくない?」なんて言う人もいたり……。焼き肉屋の最初の注文ではご飯ものを頼むべきではない―こうした意味のない「かくあるべき論」、実は小学生を育てるときにも、とても邪魔になることがあります。

親だったら誰もが自分の子どもに「こう育ってほしい」という願いがありますよね。ただ、その願望を叶えるために、得体の知れない「かくあるべき論」に縛られているケースはありませんか?

【画像を見る】こうすべき、と子どもに押し付けていませんか?


例えば、「いい子に育ってほしい」という漠然とした願望であっても、それを叶えるために、「いい子ならきちんとノートを書く」「いい子なら悪さをしたらすぐに謝る」「いい子なら宿題を忘れない」のように、「いい子なら○○」といった無数の「かくあるべき論」を押しつけてしまう場合があります。

自分が幼いころはできていなかったことでも、子どもにはちゃんとやってほしいと願う。それも親の愛情の一つでしょう。もちろん、そのすべてが間違っているわけではありませんし、優等生と呼ばれる子の多くは、実際にきちんとノートをとり、たとえ悪さをしてもすぐに謝ります。けれど、だからと言って無数の「かくあるべき論」を無理やり押しつければ、必ず「いい子」に育つとは限りません。それよりも大事なのは、「かくあるべき論」ではなく、自分の子どもに合った方法を探してあげることなのです。

子どもにデザートまで載ったワンプレートご飯を出したとき、もし子どもが大好きなデザートから食べ始めてしまったら、注意する親もいるでしょう。注意とはいかないまでも、「デザートは最後に食べたほうがいいんじゃない?」くらいは多くの親が言うのではないでしょうか。でも、デザートを先に食べても、おかずやご飯を残さずに食べてくれれば、別に順番は子どもの好きなようにしてもいいのではないでしょうか? これも「デザートは最後に食べるべき」という「かくあるべき論」に縛られているケースの一つです。

以前、子どもが縄跳びにはまって夜遅くまで練習しているが、やめさせたほうがいいのかと相談してくれたお母さんがいました。そのときボクは、そんなに遅くまで起きているのかと思いつつも、やめさせたほうがいいとは言いませんでした。

普通の教師なら、「子どもは早くに寝るべき」という「かくあるべき論」に従って注意するかもしれません。確かに、早く寝ることは科学的にも子どもの成長にとって大切です。だから一概に良し悪しは決められないのですが、でも、その子が楽しんで自主的に縄跳びを練習して、次の日に影響が出ないのなら、別にかまわないのではないかとボクは思ったのです。それに、無理にやめさせるより、その練習の中で何かができるようになればより意欲的になるし、そうしたその子の「やる気」を大切にしたいという思いを優先しました。

「かくあるべき論」は、ときとして子どもの可能性を奪ってしまう場合があります。せっかく子どもが自分から興味の持てることを見つけたり、自分なりに好きな方法を考え出したりしたのに、「かくあるべき論」から外れているという理由で軌道修正させられたら、伸ばせる才能も伸びません。子どもが「やる気」を見せたら、とりあえずはその子の可能性を信じて好きなようにやらせてみる。そういった決断も、ときには必要です。

ただ、間違ってほしくないのですが、ボクは今ある「かくあるべき論」をすべてなくしてしまったほうがいいと思っているわけではありません。前章で触れた「知識詰め込み型教育」と通じるものがありますが、日本が素晴らしい国である背景には、ある程度の「かくあるべき論」が浸透しているということがあるからです。

よく「ウチの子は自由に育てたい!」と言う親御さんがいるのですが、「自由」という言葉の意味を履き違えているのではないかと疑問に思ってしまうことがたまにあります。

もし、電車やバスの中で自分の子どもが大声で騒いでいたら、静かにさせようとしますよね。いくら自由に育てたいからといっても、ほかの人に迷惑をかけているのに知らないふりをするのは間違っていませんか? 「電車やバスの中で騒いではいけない」。そうした社会のルール的な「かくあるべき論」があるから、今のように日本の治安が守られ、財布を落としても現金が入ったまま戻ってくるといった国民性が育まれているのです。

子どもの成長のチャンスを潰してしまう可能性がある「かくあるべき論」と、社会の秩序を守ったり、日常生活を円滑に送ったりするために必要なルール&マナーとしての「かくあるべき論」。

大事なのは、そのバランスを見極め、子どもにとって本当に必要なのは何かを考えることです。

世界標準のアクティブ・ラーニングでわかった ぬまっち流 自分で伸びる小学生の育て方


そのときの子どもの気持ちや状況によって、「かくあるべき論」を外したりつけたりしてみる。子どものやる気を奪ってしまうようなら外せばいいし、子どもの成長にとって有益だと思ったらつけてみる。そうした着脱可能な「かくあるべき論」が、子どもを育てるうえでは必要なのです。

著=沼田晶弘/「世界標準のアクティブ・ラーニングでわかった ぬまっち流 自分で伸びる小学生の育て方」(KADOKAWA)

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