『レタスクラブ』連載の山崎ナオコーラさんのエッセイが、新しい1冊に生まれ変わって「家事」に革命を起こす!

#くらし 
「家事」に革命を起こすエッセイ『むしろ、考える家事』

『レタスクラブ』で連載したエッセイ「考えごとで家事を楽しむ」「消えない家事」(2018年1月号~2020年11月臨時増刊号)を再構成し、1冊の本にまとめました。
山崎ナオコーラさんが新たな気持ちで大幅な加筆・修正! 連載中に読んでくださっていた方も新鮮な気持ちで読み進められる内容になりました。1編ごとに、ちえちひろさんのかわいいイラストが入っていて、楽しく読むことができます。

「家事はもくもくと手を動かし続け、「時短」や「効率良く」を考えながらやるもの、さっさと済ませて次の時間へ行きたい。」そういうふうに家事時間をマイナスなものとしてとらえると、その時間がもったいないではないか! そう気づいた山崎ナオコーラさんは、家事時間をむしろプラスなものと捉えて、楽しい考えごとに使うことに。料理、掃除、洗濯、子育て……日常の家事の時間に考えたことを綴る、新しい視点のエッセイ。
日常の社会派・山崎ナオコーラさんの面目躍如の1冊です。

本書から、山崎さんが「家事」について考えるきっかけとなった出来事を抜粋してご紹介します。

◆きっかけ

家事をしながら、心をゼロにしてしまっているときがあった。

いちいち「この作業、面倒だなあ」と考えるとつらくなるから、シャッターをすーっと心に下ろして思考を停止し、楽しいとも苦しいともなんにも感じず、もくもくと手を動かし続けた。

でも、無感覚、無表情になれたところで、つらくはないが、楽しくもならない。私の素敵な人生には、限りがある。あとどれくらい残っているかわからない私の大事な時間が、指からこぼれ落ちる。

つらくならずに過ごせたとしても、時間がもったいない。
それで、家事時間もゼロにしよう、と思ってしまった。

「時短」「効率良く」といった言葉が書店や雑誌の中で躍っているのを見て、「おおっ」と手をのばし、めぼしい箇所に付箋を貼った。

多くの人が、こう思っているのではないか。家事時間を、仕事時間に変換できたら……、趣味時間に変換できたら……、子どもや孫との触れ合い時間に変換できたら……、恋人や夫とのコミュニケーション時間に変換できたら……、資格取得や興味のある分野に関する勉強時間に変換できたら……、ひとりで考えごとをする時間に変換できたら……、どんなに良いだろう、と。

私も、そう思った。私はしばらくの間、家事時間をとにかくネガティブなものと捉え、「つらくないように」「時間を短くするように」とのみ試行錯誤した。シャッターを下ろして能面になり、工夫して短縮する。

心を無にして作業をこなし、頭で行うのは「歯磨きのついでに洗面所の掃除をしてしまおう」「魚を焼いている間に味噌汁を作り、料理を運びながら子どもの相手をこなそう」といった「最短の道」の探索のみだ。

さらに、電化製品にもバンバン手を出した。たくさんの貯金があるわけでも、高い定収入があるわけでもないのに、「金よりも時間の方に価値がある」と言い訳し、産後の家事が心配だった妊娠中に、「共働きの三種の神器」と言われるロボット掃除機、全自動洗濯乾燥機、食器洗い機をまとめて購入した。

【画像を見る】むしろ、考える家事

ただ、工夫や電化製品によって一時間かかることを三十分に短縮したり、三十分かかることを十五分に短縮したりが可能になっても、決してゼロ秒にはならなかった。

すると、家事をやっていない人に対して「ずるいな」という感情が湧いてきた。

仕事だったら、三分やるだけでも違う地平に行ける。勉強や趣味だったら、十五分やるだけでも別の世界にワープできる。

私が家事で心をゼロにして過ごしている三分、夫は仕事でミスをして「次からは、こうしよう」と成長したり、仕事相手の誰かと人間関係を築いたり、人間としてプラスになることをして過ごしているに違いない。

悔しい。

家事をしているときの自分の成長をゼロにしかできないとしたら、仕事をしている人に負けてしまう。一日三分でも、一年なら千九十五分だ。一分仕事をしたら五成長できると仮定した場合、一年間で五千四百七十五成長できる。でも、ゼロかけるゼロはゼロだから、家事をゼロとするなら一年かけてもゼロ成長だ。

ちなみに、私の夫は「町の本屋さん」の書店員だ。労働時間が長い。夫の性質は優しく、子煩悩で、家事に対するやる気であふれているが、家にいられる時間が少ないし、立ち仕事で疲れているしで、いくら気持ちがあってもたくさんの家事はこなせない。

私の方は作家で、毎日エッセイや小説の執筆作業に追われている。ただ、労働時間を自分で決められるし、家にいる時間が長い。妊娠中や、乳児の育児中は出かけにくいから、さらに家にいる時間が増えた。そうして、私が担う家事はずるずると増えていった。

悔しいので、「夫は家事をもっとやるべきだ」と家事の再分配をした。夫はアイロンの担当になった。すると、私のシャツにアイロンをかけながら、夫がこんなことをつぶやいた。

「あ、いいアイデアが浮かんだ。書店のフェア台の企画なんだけどさあ……」

 

それを聞いて、私はカッとした。腹が立った。作業しながら、仕事のアイデアを思いついたのか。家事時間をポジティブに過ごしたのか。許せない……。

いや、そうだ、私もこれからはそうしてやる。

べつに、仕事に関する考えごとではなくったっていいんだ。くだらない思いつき、他愛のない思考、何かしらの気づき。たとえ効率が悪い行動になっても、考える練習をしながら作業時間を過ごせたならば、人間としてはプラスになる。死ぬときに後悔しにくくなる。それだったら、十五分の作業が三十分になったっていいくらいだ。

シンプルライフは、もういらない。複雑に生きて、頭をフル活動させて家事をしてやる。時短の工夫は結構大変で、「最短の道」の探索に頭を使うことに追われて人生が終わりそうになる。どうせゼロ秒にはできないのなら、時短に向けてそこまで努力しなくたっていいのではないか。

家事時間をネガティブに定義して、感じないようにしたり、短くするようにしたり努めるのではなくて、ポジティブに捉えて、楽しい考えごとに使い、仕事をしている人以上に、家事で成長しようとたっていいのではないか。

仕事をしている人に、「家事を三分でもいいからやりたい」と思わせてやる。
今だって、家事をやりたがっている人は多いではないか。夫だってそうだ。

それなのに、社会参加は仕事でしかできないと思い込んで、「人間は全員、仕事だけをしたがっている」「家事は押し付けられた人が行う業務だ」と、つい決めてかかってしまう。だが、現代や未来において、仕事の意味は変化している。給料をもらうことを仕事とする定義は一般的ではなくなりつつある。金の移動ではなく、雰囲気の移動が経済活動になっていく。主婦や主夫だって社会人だ。介護者や育児者やボランティアや学生やひきこもりの人や休職者や後期高齢者だって社会人なのだ。

家事の担い手は、「本当は仕事をしたいのに、パートナーから押し付けられて、仕方なく家事をやっている人」だと世間から思われ、やがて自分でもそう思うようになってしまった。悔しい。やりたくてやっている、と言いたいし、思いたい。「お前らもやりたいなら、再分配してあげてもいいよ」とニヤリと笑ってやりたい。

考えごとで、家事を楽しむ。
私は、家事をするときに心をゼロにするのをやめた。「むしろ、考えてやる」と決めた。

著=山崎ナオコーラ、イラスト=ちえちひろ/『むしろ、考える家事』(KADOKAWA)
文=はっしー

■著者プロフィール
山崎ナオコーラ
作家。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。現在は、子ども二人と、書店員のバートナーと共に、東京都のいなかの方に住みながら執箪を行う。性別非公表。2004年、『人のセックスを笑うな」でデビュー。小説「美しい距離」「趣味で腹いっばい」、エッセイ集『指先からソーダ』『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』などの著作がある。本書は、ひとり目の子どもが一歳のときに雑誌『レタスクラプ』で連載を開始し、二人目を途中で産みながら続け、ひとり目が五歳になる前に書き終えた。もともと、家事は得意ではないが、下手ながらやっているうちに、「どうせやらなきゃならないのなら、これで“人間らしく”なってやる」と、たくらみ始めた。

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