「他の子たちが持っている普通の暮らしが自分にはない」周囲から孤立するヤングケアラー。その実情とは

「18歳未満のとき、介護や子育てなど家族のケアをしていた経験はありますか?」と尋ねたところ「はい」と答えた人は8.4%。子どもの頃から家族のケア役割を担っていた人は、少ないながらも確かに存在していることがわかります。
「はい」と答えた人に、ケアの内容といつからその役割を担っていたのか聞いてみると…
「学生の頃は家事を。免許を取ってからは母の通院付き添いや夜の緊急搬送をしていました」(14歳から)
「歳の離れた兄弟の面倒をみています。高校生になってからはアルバイト代を全額母親に渡していました」(小学校中学年から)
「よく母の病院に付き添っていました。家では姉が洗濯、私が料理担当でした」(小学校6年生から)
「尿瓶でおしっこのケアをしたり便を拭いたりという身体的労働だけでなく、母親の味方してあげるのも私の役割でした」(小学校1年生から)
中にはわずか4歳の頃から祖父の食事の介助をしていたという人も。
幼いうちから家族のケアをするのが当たり前だと、自分の置かれた環境に疑問を持ちにくく、周囲に相談するに至らないという側面もあるようです。
母の姿を見られたくない…家庭の事情をひたすら隠していた
美齊津康弘さんは小学5年生の頃、48歳で若年性認知症を発症した母親をケアする「ヤングケアラー」でした。
元気なときは毎日着るものもきちんとして、化粧もしていたというお母さんでしたが、認知症が進むにつれて身だしなみにも無頓着になり、何日も同じ服を着ていたそうです。
美齊津さんが学校へ行くために家を出ると、そんな認知症の母が裸足で追ってきてしまいます。


息を切らし、服は汚れ、そのただならぬ様子に友人たちはヒソヒソと耳打ちします。
恥ずかしい。見られたくない…。
認知症なのだから仕方ないとわかっていても、美齊津さんはそんな日々にただただ嫌気が差していました。



遠足では皆が親に作ってもらったお弁当を広げる中、自分で作ったお弁当を隠すようにして食べていた美齊津さん。母が元気だった頃、作ってもらった好物がたくさん入ったお弁当のことを思い出し、やるせない気持ちになるのでした。
優等生を演じていた学生時代。本心を相談できる友達はいなかった

――当時一番問題に感じていたのはどんなことですか?
美齊津さん「ヤングケアラーの子どもは『家庭の事を人に知られたくない』とか『分かってもらえるはずがない』という思いを持っています。ですから自ら悩みを周りに相談することはなくて、はた目にはいい子を演じている子も多い。当時の私もそうでした。誰にも本心を打ち明けることなく、自分の中で被害者意識や世の中に対するゆがんだ価値観ばかりが膨らんで、投げやりな人生観を形成していきました。
『他の子たちが持っている普通の暮らしが自分にはない』ことで、自分は神様から見放された欠陥品のような気がしてしまい、とにかく『僕はダメな人間なんだ』と思っていました。常に自信がなくて不安ばかり感じ、そして、そのことを隠すために、学校ではいつも笑って明るく振舞い、優等生を演じていたように思います」
――ケアが必要な家族がいることは、友人関係にどのような影響を及ぼしましたか?
美齊津さん「友人に対してはなるべく家庭の話には触れないように、身内のことがバレないように取り繕って生活をしていました。一番大変だった中学生時代の友人にも『全然知らなかった』、『漫画を読んで初めて知った』と言われくらいです。本心を相談できる友人は一人もいなかったですし、そういった意味では孤立していましたね」
ヤングケアラーは抱えている問題を人に言えずに孤立してしまい、適切な支援にたどり着くのが難しい現状があるようです。
私たちの周りにも家族の問題を抱えて悩んでいる子どもがいないか、意識して周囲を見まわしておきたいですね。
取材・文=宇都宮薫
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