「苦手を克服した」美談にはしたくない。生ピーマンに挑戦した子どもと笑い合った時間/大人になってもできないことだらけです(5)

やればできるのではなく、やるしかなかった

できているように見える姿の奥に

同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。

僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と呟き、考えを巡らせているようだった。

何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で一人、でんぐり返しをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。

周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。

その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。

別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏しており、緊迫した空気が漂っていた。

その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。

そのときの僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子のよい姿を見たような気がしたのだと思う。

演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので、僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。

するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。

この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。

僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で「普通」になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。

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