雑誌『レタスクラブ』で連載中の山崎ナオコーラさんのエッセイ「考えごとで家事を楽しむ」をレタスクラブニュースでも特別公開!

家事に仕事に子育てに大忙しの毎日。実体験に基づいた言葉で語られるからこその共感や、生活を楽しむためのヒントが隠されています。

今回は、vol.22「図鑑読み」をお届けします。

図鑑読み vol.22「考えごとで家事を楽しむ」 山崎ナオコーラのエッセイ 画像(1/2) 山崎ナオコーラさんのエッセイを連載中! 今回はvol.22「図鑑読み」をお届けします

前回、「名もなき家事」について説明してある記事を見たら「子どもの爪切り」も項目のひとつに入っていた、ということを書いた。

 さらに項目を見ていくと、「子どもとの会話」も「名もなき家事」のひとつとされていた。

 「子どもとの会話」を家事と捉えることに驚く人は多いのではないか。私も、「え?  これも家事労働と捉えていいの?」と二度見してしまった。理由は「楽しいことだから」だ。しかし、考えてみれば、いわゆる「仕事」にだって、楽しい側面はいっぱいあるのだ。つらいことだけが仕事ではない。楽しいけれども疲れること、楽しいけれども時間がかかることがたくさんある。

 おそらく、多くの人が「子どもとの会話」に対して、「楽しいけれども、時間がかかる」「その時間を捻出するために、他の仕事を調整したり、やりたいことを我慢したりしている」と思っている。そう、立派な家事労働だ。

 あるいは、「家事は家族に対する愛の行為なのだから、労働と捉えてはいけない」という主張を耳にすることもあるが、そうだとしたら、政治家だって、国民に対する愛の行為ということで、「政治を仕事として行うのではなく、無償奉仕するべきだ」となるだろう。

 「子どもとの会話」は、愛から行う最たる行為だが、「時間をかけよう」と心がけなければなかなか十分なことができないし、「家事労働だ」「仕事として捉えてもいいものだ」と思った方が、きっとうまくできる。

 というわけで、「子どもとの会話」を家事とすることに大いに賛同した私だ。「もっと言えば、『読み聞かせ』だって『名もなき家事』だろう」と考える。

 未就学児が家にいる人は、絵本の読み聞かせが結構な労働になっているのではないだろうか?  私の家にいる三歳児も、家にいるとひっきりなしに絵本を持ってきて、「読んで」とせがむ。寝る時間になっても、何冊か読まないと布団に入ってくれない。

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