ラジオ番組という構成なので、インタビューコーナーがあって然るべきだし、リスナーから来たメッセージを紹介したり、リクエスト曲をかけたり、フリートークをしたり。1つのラジオ番組を作る感覚で考えたんです。だからなのか、読んでくださった方が、普段本読まないという方も『あっという間に読み終わった』とおっしゃるんですよ。ラジオ聞いている感じで読めると。
昔から聞き流すメディアと言われているラジオのように、韓国が好きな人はもちろん、ラジオ好きな人、そして韓国が好きということ関係なしに、聞き流す感覚で読み流してもらって、『そうだったんだ』をちょっとでも感じてもらえる本にしたいなと思いました」
──著書の中で、BTSの『Black Swan』やNewJeansの『Attention』などさまざまな楽曲をピックアップして紹介されていますね。
古家さん :「この本のために立ち上げたアンケートフォームを通じて、みなさんから特にオーダーが多かった曲を選んだ形ですね。また、インタビューに関連する楽曲を紹介したいという思いもありました」
──今回のインタビューには『三食ごはん』『NANA TOUR with SEVENTEEN』『ソジンの家』など韓国の大ヒットリアルバラエティ番組を手掛けたナ・ヨンソクプロデューサーなど、古家さんでなければブッキングできなかった韓国エンタメ界の裏方の重要な人物が登場していますね。
古家さん :「これまで培ってきた韓国エンタメ界とのお付き合いの中で多くの方と出会い、そしてその出会いを大切にしてきました。それが実を結んだのが今回の本だったと思います。協力してくださった皆さんにただただ感謝の気持ちでいっぱいです」
──ラジオのDJをされている古家さんは、人の話を聞くということが好きなのでしょうか?
古家さん :「ラジオDJはインタビューをすることも多いですし、リスナーの声も聞いていく仕事じゃないですか。昔から業界の中では『喋り上手っていうのは、聞き上手じゃなきゃできない』という風に言われていたので、『まずは人の話を聞く』ということを、ラジオのDJをやりはじめたころから意識していたことは間違いないですね。
あとは、学生時代に生徒会長や部活のキャプテンをやっていたのですが、人をまとめるには人の意見聞かなきゃいけない。学生時代からそういうことをやっていたので、慣れていたというのはあるのかもしれませんね」
──ラジオDJを目指すきっかけというのはなんだったのでしょうか?
古家さん :「父がラジオオタクだったんです。その影響で小さいころからずっとラジオを聞いていて、小学生のころにはすでにオールナイトニッポンを深夜に聞いていました。北海道に住んでいたので、東京のラジオを聞くためにアンテナを組み立て、屋根に立てて、ニッポン放送を聞いたんです。だから、ニッポン放送で番組が持てるようになったときは、どれだけ嬉しかったか。憧れの放送局で喋っているというだけで、もう死んでもいいと思うぐらい嬉しかったです。
なぜラジオが好きだったかというと…当時は今みたいにタダで音楽を聞き流すことができなかった時代じゃないですか。ラジオでエアチェック、『録音ボタンをポーズしておいていい曲が始まったらポーズを外して、はい』なんて、とにかく時間と労力を使わないと音楽に出会えなかった。レコードもCDも購入するには高かったし、音楽と出会うというのはある意味命がけだったと思うんですよ。ラジオは自分の知らない音楽やジャンルの話題を紹介してくれる、自分にとっては、特別で、宝箱みたいな存在だったんです」
──そんなラジオで韓国の音楽を紹介したいと思うようになったのですね。
古家さん :「カナダに留学中、初めて韓国の音楽と出会ったとき、もうすぐに『これはラジオで紹介したい』と思いました。ラジオだったら不特定多数の人に、関心もない人に、シャワーのように届けられるだろうと。何もない情報を新たな人に提供ができるメディアは何かって考えたら、僕にはラジオしかなかったんです。
その後、韓国に留学し、やっぱりラジオで韓国の音楽を紹介したいと帰国したのですが、当時はJ-POP全盛期の90年代後半。『誰が聞くんだ』という話になってしまって」
──なかなか受け入れてもらえない状況の中、それでも韓国の音楽を伝えたいという思いはどこにあったのでしょうか。
古家さん :「カナダに行ったとき、僕が韓国人に見えたらしく、韓国人のクラスメイトが積極的に声をかけてくれて自然と仲良くなっていきました。そして、同じクラスの韓国や中国、台湾、香港、トルコの方たちと交流するなかで『日本ってアジアの国の1つなんだよなぁ』っていう当たり前なことに気付かされたんです。そして、自分の目でアジアを確かめなきゃいけない、と思うようになっていきました。
カナダを経由して韓国に行ったからこそ、その目線を得られましたし、だからこそ今の自分が存在すると思います」
──日本に帰国し、ラジオDJとして活動されていく古家さん。昔からいまのような雰囲気だったのですか?
古家さん :「ラジオDJとして番組に出始めたころは、『つまらない、面白くない』と散々言われました。でも自分でもそう思っていて。そんななか、大阪の放送局から誘われ、大阪で朝番組をやることになったんですね。『なんで北海道の人間が関西の朝の番組を?』とも思ったのですが、『古家さん、そのままでいいから』と言われて引き受けました。
この番組の初回の放送が終わった後に、プロデューサーやディレクターみんなから、『なんで古家さんは普段喋っているときは面白いのに、ラジオで喋ったら面白くないんですか?』と言われてしまったんです。
『じゃ、どうすれば?』と教えを乞うと、『古家さんの話にはオチがないんですよ』と。北海道から来たばかりの人間にオチを求めるの⁉とも思いましたが…。
このときに、ディレクターに『別に原稿を書いたものを読むんじゃなくて、思った通り喋ればいいんじゃないですか』と言われました。それまでは原稿をすべて喋り口調で書いて、そのまま喋っていたんです。生放送でもとにかく原稿を読んでいて。『文句を言われたときには僕らが責任を持つので、自由に喋ってください』と言われ、そこから完全原稿を書かなくなりました。
それが、今の喋りのベースになっています。
それが17年前、30代半ばのころの話なのですが、当時の僕は頭の中が凝り固まっていて、FMのDJには、英語を使ってクールに曲を紹介してメッセージを伝えるというイメージがありました。元々カナダに留学するときの目的も、ジョン・カビラさんやクリス・ペプラーさんのようになるためでしたから。
だけど、そもそもそんなクールな人間にはなれなかった。完全にAM(中波)の人間だったんです…!
それを大阪で気付かされ、そこから英語で曲紹介を一切しなくなりました。なんで喋れもしないのに英語で曲紹介していたんだろう、喋れるのは韓国語なのに。
大阪に行って、喋りの思考というか、方向性が変わりましたね。
その後、2年間大阪にいたのですが、改めて東京の大学院でジャーナリズムを勉強をしようと考え、その間は仕事をお休みしようと思っていました。そんなときに、『KARA』と『少女時代』のブームがやってきたんです」
ラジオを宝箱と思っていた少年時代の夢をかなえた古家さん。ラジオDJとして悩んでいたときにディレクターからかけられた言葉は、現在の魅力あふれるMCの仕事にも大いに活かされているようです。
【プロフィール】
古家 正亨(ふるや まさゆき)
1974年生まれ、北海道出身。ラジオDJ、韓国大衆文化ジャーナリスト、そしてK-POPや韓国流俳優のイベントMCとして絶大な人気を誇る。韓国公営放送においてもレギュラー番組持つなど、韓国でも活躍。2009年には、日本におけるK-POP普及に貢献したとして韓国政府より「韓国政府褒章文化体育観光部長官褒章」を授与。2011年から江原道観光広報大使を務める。妻は韓国人シンガーソングライターのホミンさん。近著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 も好評!
2024年8月26日(月)には自身のファンミーティング「古家x藤原ファンフェスタ スペシャルゲスト超特急カイ」 を飛行船シアター (東京都)にて開催!
文=伊藤延枝