「お母さんがおかしくなった」母の排泄物が入ったレジ袋を投げ捨て…小学生ヤングケアラーの壮絶体験と母の最期【48歳で認知症になった母 結末とネタバレ】

ヤングケアラーになった僕

美齊津さんには当時、高校生のお兄さんがいました。

兄は部屋から出ず手伝ってくれない

お父さんは長男に厳しく当たり、家業の会社を継ぐように言っていました。それが原因でお兄さんは反発し、自分の殻に閉じこもるようになっていったのです。
お姉さんもいましたが、すでに嫁いでいて、小さな子どもが3人います。

姉も子育てに追われ長続きせず

そういった理由から、放課後にお母さんの面倒を見ることが、小学生の美齊津さんの日常になっていきました。

そもそも、お母さんが認知症を発症したのは、美齊津さんが小学校5年生のころ。物忘れがひどくなっことを心配したお父さんは受診をすすめます。

3人で病院へ

こうしてアルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)であると診断されましたが、本人はその病名をかたくなに認めようとしませんでした。こうして月日はたち、美齊津さんは中学生に。

来月引っ越すぞ

ついにお父さんは重大な決断をします。
親族である叔母さんの家へ、一家そろっての引っ越しでした。
しかし叔母さんは、お母さんを嫌っていました。そんな叔母さんのもとに行く不安について話そうと美齊津さんはお兄さんに話しかけました。

置いていかれた

しかしお兄さんは東京の大学に行くことが決まり、今後は一緒に暮らすことはないと言います。
ほどなくして、いまの家から100mほど離れたお父さんの実家で、両親と美齊津さん、叔母さんの4人での暮らしが始まりました。

父の実家で叔母が一人暮らししていた場所へ引っ越した

叔母は母と僕の食事を作ってくれた

叔母は母に何もさせないようにして…

日中、介護と毎日の食事の支度は叔母さんに任せることができるようになり普通の中学生としての生活を手に入れたかに見えました。しかし母の病状は無情にも進行し続けていました。

叔母は母を見守る気はまったく無い

あの時間に戻りたいという気持ちは僕と同じだった

「危険だから」という理由で台所への出入りを禁じられ、お母さんは不仲の叔母の家に何もせずいることが苦痛だったのかもしれません。
前の家に行き、でも家の中には入れずに立ち往生する…ということを何度も繰り返していました。

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