家に、そして物に殺される。物を持たない生活を選んだ私が東日本大震災を振り返って #あれから私は

#やってみた 

不要なものを捨てるのが3度の飯より大好き。「捨て変態」を自称し、持たない暮らしを徹底するマンガ家のゆるりまいさん。物が多い家に生まれ育ち、思春期とともに片付けと捨てることに目覚めたというゆるりさんは、仙台市で東日本大震災の被害に遭い、自宅を失いました。震災から10年、当時を振り返ります。

一生忘れられない日

今でこそ物の少ない家で暮らしていますが、私は物が多い散らかった家で生まれ育ちました。
今と真逆の、物だらけの家。そんな家に住んでいた私が、本格的に不要な物が“なんにもない”家を目指すようになったのか。それは東日本大震災でした。
仙台に生まれ育ち今もなお仙台に住んでいる私にとって、2011年3月11日は、一生忘れることのできない日です。

突然、見知らぬ女性に抱きつかれ…

その日は友人と遊ぶ約束をしていたので、友人の元へ向かうために道を歩いていると、突然見知らぬ女性に抱きつかれました。イヤホンをしていたため、一瞬何が起こったのか分からなかったのですが、その瞬間、聞いたことのない地鳴りと立っていられないくらいの大きな揺れが起こりました。(恐らくその女性は、地鳴りに驚き近くを歩いていた私に助けを求め抱きついたようでした)
自分の視界が大きく揺れ、目の前の建物たちが尋常じゃない音を立てて揺れ動き、人々の悲鳴が四方八方から聞こえました。明らかに通常とは異なる地震に「これは只事じゃないことが起きている」と思いました。
その日、母は仕事で家には認知症を患っている祖母が一人。幸いまだ家の近くだったので全力疾走で祖母のもとへ戻ると、家の中はものが散乱し、しっちゃかめっちゃかになっていました。

聞いたことのない音を立てて揺れ動く家

当時の家は不用品が溢れかえっていました。ただでさえ散らかっていたのに、そこに震度6の揺れが生じれば家の中は当然大変なことに。祖母を連れて家の外に避難しようにも、絶え間なく激しい揺れが襲ってきました。
家の壁がボコッ!ボコッ!と奇音を立てながら歪な形に動き、今まで乱雑に積み上げてきた物たちが私たちめがけて崩れ落ち、家具も倒れ、その一部が避難経路を塞ぎ、散乱したものをかき分けながらやっとの思いで外に出たのです。その時私は、家に、そして物に殺されるのではないかと思いました。物が凶器となって自分たちに襲いかかることの恐ろしさを実感したのです。

そして命が危なかったのは、私たち人間だけではありません。当時飼っていたペットの猫までもが危険にさらされていたのです。
揺れに驚いた猫がパニックに陥り、家の中を走り回った結果、私たちは猫を見失ってしまいました。猫も恐怖でいっぱいだったので、いくら呼んでもいくら探しても見つかりません。結局、瓦礫の下に息をひそめるように隠れていたので探し出すまでにとても時間がかかってしまいました。

日頃の防災意識の低さが露呈

地震に耐えられなかった我が家は、一部が大きく崩れ落ち、家そのものが大きく歪んでしまいました。到底住める状態ではなくなってしまったので、私たち家族は近くの小学校に避難することになりました。

そこで改めて私は愕然としました。
避難に必要な物が全然見つからなかったからです。懐中電灯も乾電池もラジオも、どこにあるのか分かりません。ただでさえ普段から整理整頓ができていなかったのに、地震の影響でますますシャッフルされてしまっていて、記憶を手掛かりに探すも全く見つからないのです。

物がたくさんあるのに必要な物が見つからない

避難所で食べられそうなレトルトフードを探すも消費期限が切れていたり、大量の甘酒はあるのにペットボトルの水やお茶はなかったり……。なんとかかき集めるも、未曾有の災害に立ち向かうにはあまりにも心許なさすぎる状態でした。

これだけ物がたくさんあるのに。こんなにも我が家には物があるのにも関わらず、今生き延びる為に必要な物はほとんど持っていなかった。そのことに大きなショックを受けました。

物がたくさんあることによって、本当に大事な物が埋もれて見つけ出せなかったこと。
地震によって落下物が凶器と化し、避難経路を塞ぐこと。
その危険が愛するペットにまで及ぶこと。
この日の体験から、私は不要なものに囲まれて暮らすことに、大きな恐怖を覚えたのです。

暗闇は人の心まで真っ暗にする

不安と恐怖でいっぱいの夜

やっとの思いで小学校に避難したものの、人がすし詰め状態で、横になって寝るスペースはありませんでした。
全てのライフラインがストップしていましたが、一番精神的につらかったのは停電だったかもしれません。
日が暮れて、辺りがどんどん暗くなり周りが見えなくなっていくのを感じて、なんとも言えない恐怖感でいっぱいになりました。近隣から聞こえるラジオのニュース情報と絶え間なく起こる余震、見知らぬ人たちとギュウギュウになって過ごす夜に、なかなか眠ることはできず、夜の時間が何十倍も長く感じました。あの時ほど、早く夜が明けることを願った日はありません。

地震の翌日、待ちに待った日の出とともに体育館の外に出ました。外で大きく深呼吸がしたかったからです。
空はとても綺麗でした。空気も澄んでいて、こんな状況でもなければ気持ちの良い朝でした。それがなんだかとても不思議で、自然というものがとても怖くなりました。それと同時に、言葉通り、明けない夜はないんだなと思ったのも覚えています。

またそんな状況でも新聞が配達されていて、受け取った瞬間感謝の気持ちでいっぱいになりました。新聞にはラジオでしか分からなかった、津波により変わり果てた沿岸部の様子が載っており、この時改めて本当に恐ろしいことになっていることを痛感したのでした。

私たちの帰る家がどこにもない

結局、私たち家族は5日間ほど小学校の避難所で過ごしました。
仙台の中心部よりの地域だったので、地震から2日も経つと半分以上の人たちが家に帰って行きました。最初はあんなに人で埋め尽くされていたのに、3日経つと自分たちのスペースは広さに余裕が生まれてきました。それと比例するように、私たちは精神的に余裕がなくなっていきました。
なぜなら、私たちには帰る家がなかったからです。
家は倒壊の恐れがあるため戻ることはできません。この避難所にいるみんなには帰る家があるのに、私たちにはない。そのことが心に大きく伸し掛かりました。
当時私は住んでいた家を恨んでいました。私だけ片付けに目覚めていたので、孤立無援で散らかった物の多い家と戦っており「こんな家なくなってしまえばいいのに」と思ったことは数え切れないほどありました。
しかし、そんな家でも、私たち家族にとっては大切な家には違いありませんでした。皮肉にも突然失われて初めて、私はあの家が本当は大好きだったことを実感しました。

“当たり前”は当たり前なんかじゃなかった

その後、運良く家の近くにアパートを借りることができました。
とりあえず手作業で急ごしらえの引越しを済ませたその日は、電気や水道、ガスも復活していたので、久しぶりにシャワーを浴びたり、ご飯を作ったりすることができました。布団を敷いて眠る時、思わず泣いてしまったくらい幸せでした。
何気ない日常がいかに尊いかということ。当たり前の暮らしというものは実は全く当たり前ではなく、今までのんきに平和で生きてこられたことが奇跡だったこと。私は今、忘れてはいけない経験をしているのだと思いました。
そして、次の家は絶対に【命を守る家】にしようと決意したのです。

作=ゆるりまい

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ゆるりまい

ゆるりまい

仙台市在住。漫画家、イラストレーター。夫、母、息子の人間3人 +... もっと見る

Information

■著者:ゆるりまい
1985年生まれ。仙台市在住。漫画家、イラストレーター。
夫、母、息子の人間3人 +猫4匹ぐらし。生まれ育った汚家の反動で、現在ものの少ない暮らし街道爆進中。ものを捨てることが三度の飯より大好きな捨て変態。そんな日常を描いた『わたしのウチには、なんにもない。』(KADOKAWA)は2016年、夏帆主演で連続ドラマ化された。



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